佐藤亜紀『戦争の法』を読む

戦争の法 (文春文庫)

戦争の法 (文春文庫)

 佐藤亜紀はおそろしい作家だ。あまりに面白すぎる。おれは『1809―ナポレオン暗殺』を読んでそう感じた。そう感じたがゆえに、おれは佐藤亜紀の本を買い集め、そして読まなかった。まあ、今、日記を検索してみたら『天使』も読んでいたのだけれど。

 面白すぎるのになぜ読まないのか。読めないのか。うまく説明できないが、そこにはなにか覚悟が必要な気がする。おおげさかもしれないが、それに相対するのにこちらの胆力が要求されるような、そんな気がしてしまうのだ。無論、著者の知力や学識、美学に相対するなど不可能に違いない。問題はそこじゃあない。そこじゃあないんだ。そうとしか言えぬ。
 とはいえ、おれの人生も終わりが刻々と近づいている(それは生まれたときからそうなのだけれど)し、そんなこと言ってる場合じゃねえんだ。と、そんな覚悟をもって『戦争の法』を読んだのだ。「なに、戦争の法? jus ad bellumかjus in belloか? なんでもいい、よし、かかってこい!」てな具合である。
 と、意気込んだところで、この作品の「戦争」は普仏戦争でもバーバリ戦争でもない。1975年、N...まあきっと新潟県が日本から分離独立して、ソ連陣営に加わるという話である。そこで反共ゲリラとして戦うことになる少年の話なのである。
 が、もちろんといってはなんだけれども、仮想戦記のようなことになるわけがないのがこの著者の書くところなのだ。その知識の深み、人間の……ひょっとするとあまり現代的とはいいかねるかも知れない業や関係といったところが背景にある。最終章ではやや辟易するくらいだが、まあそれはいい。それでも、一方でゲリラ戦の、戦争の現場の空気を、乾いた流血を、技術を、戦争の法を描いているのだから満足である。

「僕たちは野犬の群れなんです。野犬の群れにはそれなりの法がある。それがつまりこれですよ」

 てな具合、といったところでおれはあなたに伝える努力をしちゃいないし、するつもりもないが、端的に言えばやっぱり佐藤亜紀は怖えな、という感想が残る。が、しかし、やっぱり読もう、読んじゃおうという気が起きてきたのも一方にある。とりあえずはどうする? 『天使』を読み返して(おれときたら、まあ内容なんかこれっぽっちも覚えちゃいないんだから)、その続編? らしきところに行くか? 積んであるのを適当に行くか? すごい傑作らしいやつに行くか? まあ、好きにやるさ、それだけのことだ。うん。

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戦争倫理学 (ちくま新書)

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天使 (文春文庫)

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