小学生に科学者の絵を描かせると、九割の子どもがマッド・サイエンティストの絵を描く。研究者らがおこなってきた自己実験の数々を考えると、このイメージももっともと言えるかもしれない。科学の名の下に、彼らはコレラ菌入りの水や塩酸、その他口に出して語るのもはばかられるようなもの(これから、それらについて詳しく語ろうと思っているのだが)を飲み込んできたのである。
はじめに
「じこじっけん」と打って変換したら、まず「事故実験」と出てきた。当たらずも遠からず。いや、当たっているのかもしれない。とはいえ、故意の事故、希望しての事故である。そんな事故ってなんだろう。それすなわちマッド、といっていいのだろうか。ともかく、そんな科学、医学の先駆者たち、先走りすぎた連中をまとめた本である。どのくらいマッドか、というと、科学の門外漢というか落第生であるおれには正確にはかりかねるが、そんなおれにもマッドさが十分に伝わってくるので安心の一冊といえよう。
医者たちは麻酔や鎮痛剤……現代でいえば非合法な薬物に分類されるものをバンバンきめてきたし、いろいろなフレンズの死肉を食らってきたし、感染病人の嘔吐物を煮詰めたものを吸ったり、腫瘍から採血して自分に打ったり、白血病者の血液を自分に輸血したり、もうなんでもありだ。
そして、そういった先駆者たちは往々にして正当な評価を得られず、あるいは得るまえに死んだりして、歴史のかげに埋もれてしまったりもしている。その名誉を挽回するのが本書ともいえる。たとえば、水が原因で疫病に、なんていう発見をしたものも、当時は一笑に付されて終わっている。このあたり残念である。とはいえ、ワクチンなるものが出てきたときに、それを拒否して海に捨てた兵隊を笑えるかというというと、そうとも言えない。「この飴玉、ホメオパシー」と言われたら、おれも海に捨てるだろう(べつにホメオパシーが後に正当な地位を得るであろうとはいってない)。
それにしても、人類というものは病気というものと長く戦ってきたのだな、という当たり前の感慨を抱かずにはおられない。七年戦争の死者の内訳は、戦死者一人に対して病死者八十九人(そのほとんどが壊血病)という具合だ。ビタミンCは偉大である。
あるいは、自ら漂流者となって、海水を飲むべきかどうか、魚の絞り汁で生きられるかどうかたしかめたアラン・ボンバール医師などは、もうグレイト・ジャーニーどころじゃない。
彼によれば、「海水飲んじゃ絶対だめ」ではなく、少しずつ飲めばいい、らしい。詳しくはしらない。あんたが試してくれ。生魚を絞ってその汁を飲んでくれ。おれはごめんだが。
……というわけで、なんというか現代日本に生まれてよかった、というやや見当違いな感想を抱いてしまうのも本書である。単純、といっては失礼だが、わりと当たり前の仕組みや疫病、あるいは怪我ですごく苦しんだりする確率はかなり低い。おれが双極性障害だの睡眠時無呼吸症候群だので苦しい思いをしているなど、そうとうに貴族の物言いといっていい。ああ、麻酔のある時代でよかった。いろいろの薬のある時代でよかった。少なくとも、今のところはそう言える。とはいえ、まだまだ不治とされる病もたくさんあり、今後そうなるとも限らない。そのときは、本書に出てくるような奇人勇敢な科学者たちによって新たなる治療法が確立されるのに期待したい。