エミリー・ディキンスンをちょっとだけ読む

シオランの『カイエ』を読んでいると、何回か繰り返し出てくる事柄がある。モンゴル、日本、そして詩人エミリー・ディキンスンである。エミリー・ディキンスンを賛美するというか、心酔しているというか、崇めているというか、えらい調子なのである。そこまでシオラン先生が入れ込んでいるなら、どんなものか読みたくなるじゃないの。

ということで、二冊ほど読んでみた。

 

エミリ・ディキンスンを読む

エミリ・ディキンスンを読む

 

こちらは、詩人の生涯を追いながら、何篇かの訳詩、そして原文が載っている。

 

わたしは名前がない。あなたはだれ? エミリー・ディキンスン詩集

わたしは名前がない。あなたはだれ? エミリー・ディキンスン詩集

 

こちらは、テーマごとに訳詩だけ載っている。

で、どうだったかというと、どうなのだろう。詩は言葉、意味そのものではない。訳したからとってまったく伝わらないわけでもないけれど、やはり詩のコアである言葉であることが失われてしまうように思える。ならば原詩を読めばいいというのかもしれないが、おれには外国語がわからない! ……というわけで、にっちもさっちもいかねえなあ、というところだ。たとえば、金子光晴ランボーを訳したら、金子光晴ランボーかわからない詩というものが出てきて、たいそう素敵になったりするのだけれど、それはまた別のパターンだろうか。

して、エミリー・ディキンスンである。英語で書いた詩人の中で最高の一人、くらいの言われかたをしている。おれは、名前も知らなかった。19世紀アメリカ、片田舎で引きこもって暮らした。そして詩を書いた。書いた詩は没後に高く評価された。

エミリー・ディキンソン - Wikipedia

しかし、エミリーなのか、エミリなのか、ディキンソンなのかディキンスンなのかはっきりしてほしい。

これが衰えることなら

すぐに 衰えさせてください

これが死ぬことなら

葬ってください 赤いかたびらを着せて

これが眠ることなら

このような夕べに

目をつぶることは 誇らしい

おやすみなさい みなさん

くじゃくが いま 死んでいきます

最後の「くじゃくが いま 死んでいきます」がいい。

傷を負った鹿がいちばん高く跳ぶ

そう猟師が言っていた

死の法悦だから ― それから

草むらは 静まりかえる

最初の「傷を負った鹿がいちばん高く跳ぶ」がいい。べつになにかの格言になるというわけでもないのだけれど。

この人こそ 詩人でした

詩人は 普通の事柄から

はっとする意味を抽出します

戸口で萎れた

 

とくに珍種でもない花から

花香水を作ります

わたしたちは ああ なぜできなかったの?

彼がして見せる前にと いぶかるのです

 

さまざまな絵を見つけだして示す

この人こそ 詩人です

私たちは 身に引き比べて

つねの自分の貧しさに気づくのです

 

分け前には まるで無頓着で

盗まれても 傷つきもせず

詩人は みずからが 財産です

時の流れの 外にいます

これはもう、自らのことを書いたかのように思える。詩人その他芸術家いうものは、こうではなくてはならない。べつに分け前に頓着してもいい。だれも気づいていない「そこか!」というところを指し示してほしい。おれたちの、思いもしなかった形にして見せてほしい。

もし 張り裂ける心を ひとつ防いだら

わたしが生きたことは むだではないの

いのちの苦しみを もしひとつやわらげたら

痛みをひとつしずめたら

 

瀕死のコマドリを一羽

もし もう一度巣に戻せたら

わたしが生きたことは むだではないの

そして、たとえばこの詩の原文はこうなる。

If I can stop one heart from breaking
I shall not live in vain
If I can ease one Life the Aching
Or cool one Pain

Or help one fainting Robin
Unto his Nest again,
I shall not live in Vain.

ふむん。どこらへんがどう韻を踏んでいるのだとか、踏んでいそうだとか、まあわからんけれど、そうなのだ。

By homely gift and hindered Words

The human heart is told

Of Nothing - 

"Nothing" is the force

That renovates the World -

それで、この詩なども、どう解釈するかで意味も違ってくるという。「gift」を贈り物とするか「才能」とするか。いずれにせよ、「Nothing」を「無」とすると、「無」に力ありとするのはなかなかに東洋的でもあって、こういう感覚をシオランが好んだのかもしれない、などと思う。が、やはりそこも、おれの生まれ育ちのバックボーンに西洋的な神がないから語り得ぬのである。以上。