「平成」って初めて耳にしたときどう思ったか。なんか力が抜けるような響きだと思った。「へーせー」。それは生まれたときに日本が昭和だった昭和生まれの昭和趣味だったのかもしれない。
して、このたびの「令和」である。……「令和」だったよな? 変換できないと不安になる。
うむ、間違いない。
このニュース、やはり早く知りたいと思った。思ったので、職場のラジオをNHKのラジオにしたRadikoなので少し遅い。そこで、NHKのサイトを出した。生中継をしていた。なかなか出てこない菅義偉。やっと出てきた菅義偉。まず口頭で「れいわ」と言ったが、はっきりと聞こえなかった。そして、文字を掲げて……手話字幕と思いっきりかぶった。すぐに手話字幕が消えた。
右に「令和」、左に「令和」、また右に……正面や後ろ姿まで撮るべきだろう。まあいい。
ラジオのアナウンサーは「年令の令に平和の和です」と伝えていた。「ねんれい」といったら、「齢和」と間違える人がいるのではないか、と思った。しばらくして、「先ほど年令の令とお伝えしましたが、命令の令です」と訂正した。「命令」という言葉を思わず避けたのではないか、と思う。とはいえ、「令」の字は「命令」の「令」が一番通りがいいだろう。あ、べつに「命令」だからどうこうという意図はないけど。
まあ、意図なんて関係ないのだ。おれは選んで昭和生まれだったのではないし、好き好んで平成の世を漂ってきたわけでもない。西暦にしたって同じことだ。おれが1970年代生まれだからといってなんなのだ。1999年を生き抜いてきたからといってなんなのだ。
というわけで、おれがあと一ヶ月生きたら、昭和、平成、令和の三時代に引っかかる、ということになる。考えてみると、おれは昭和より平成をずっと長く生きたことになる。辞書に載ることになったら、「平成期の貧乏人」と書かれることになる(そもそも辞書に載らないが)。
とはいえ、おれは昭和の子という意識が強い。そして、反平成である。平成の人生、おれは没落した。では、令和はどうなのか。まだわからん。というか、まだ令和ではない。しかし、昭和の子は平成にロストして、令和のキモくて金のないおっさんになる。そういう予定だ。
昼、空模様が怪しくなった。少し、雨が降ってきた。コンビニに向かう道すがら、おれは小声で「令和維新の春の空〜♪」などとこっそり口ずさんだ。散るや万朶の桜花、毎年この時期は忙しく、ろくに花見もできない。今年は、まだ寒い。