ニート・オートマタ&ゲーミング・ディスオーダー

「なんかよ、PS4買ってエースコンバットやったのはいいけど、あとはグランツーリスモでさ、やっぱり飽きるわけよ」

「うん、無難すぎる」

「でも、スパイダーマンはぜんぜん動かし方わかんなくて、開始五分でもたなくてよ。そんで、それじゃあPS4もったいないからって、なんかファミ通のアンケートみたいなのネットで見て、評価高かったから、ニーアオートマタっての買ったんよ。ゴールデンウィークにやろうかなって。したら、最初のボスに轢き殺されて、やっぱりおれ、この視点のゲーム苦手じゃんって」

 

 

「え、最初のボスって、人型の?」

「いや、なんかチェーンソーのでけえみてえなの」

「それ、チュートリアルボスじゃん。チュートリアル。でもマジ、ニーアオートマタは尻で売れたから、尻で」

「あれ、チュートリアルかよ。普通に死んだっつーの。それで難易度イージーにしてやり直してんだけど、いまいちわかんねーし」

「ニーアオートマタなんてレバガチャでなんとなるっしょ? レバガチャ。あと、尻で売れたから、尻で」

「いや、尻以前だし。どうにも、なんともなんねーんだよ。おれ、メタルギアバイオハザードもできねえじゃん。知ってんだろ。でさ、なんかいいゲームねえ? ドラクエとかファイファンとか定番以外でさ」

「いいのあるよ、兄さん、SEKIRO!」

 

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE - PS4

 

 

「あ? ふざけんなよ?」

「マジ、フロムのゲームん中でもえげつねえし。ラスボスで五十回死んだ。けど、一回倒せるようになったら、もう二度と死なねえから、マジで」

「いや、マジでそういうの無理だっつってんだろ。ニーアオートマタのチュートリアルで死んでんのよ、おれは」

「じゃあ、おとなしくドラクエでもやっとけって」

……という不毛な会話を弟と交わしてしばらく経つ。おれのニーアオートマタは一向に進んでいない。

つーか、そんだけ知恵を使い、技量を高め、根気を尽くして鬼難易度のゲームをクリアできんなら、ニートとかしてんなよ、とかいう。

しかしなんだ、そういや昔、弟のプレイするメタルギアなんとかとか、バイオハザードとか、後ろから見てたっけ。今のゲーム実況を視聴する文化しらねえけど、あんな感じなのかしらん。

 

……のは、ともかくとして、こんなニュースがあった。

www3.nhk.or.jp

ゲーム障害。ゲーム依存症の方がしっくりくるが、WHOのサイト(https://www.who.int/features/qa/gaming-disorder/en/)見てみたらGaming Disorderで、たとえばおれの持病である双極性障害がBipolar Disorderで、双極性依存症、躁鬱依存症では意味が通らないから、日本語にしたら「ゲーム障害」なのだろう。

で、まあ日常生活に支障をきたすほどの依存性を生じさせるものはいろいろあって、薬物も食事もギャンブルもその可能性がある。で、薬物や食事やギャンブルなどはそのなかでも大きな問題を生じさせるケースが多いので、「不定形の障害」から取り出されて、とくに病名がついたのだろう。たぶん。

アルコール使用障害、摂食障害、ギャンブル障害……。ゲームで障害が多くなれば、ピックアップされもしよう。そんで、そういうケースを集めて、対策を考えようとなるのはしょうがないだろう、と思う。

で、昔書いたこんな記事を思い出す。

goldhead.hatenablog.com

きちんとした脳科学やなにかの専門家が、科学的に確かな方法でゲーム脳状態を示す。そして、いろいろの学者の再現実験や何かからもゲームの人間に対する悪影響がはっきりする。アルコールで人が酩酊するくらいはっきりする。また、社会学やら統計学からも、社会に対してよろしくないことがはっきりする。森のゲーム脳を科学的、論理的に批判していた学者たちも認める。
 ……さあ、そのときどうする。どういう態度を取れるだろうか。

言うまでもないが、似非科学である「ゲーム脳」が今回認められたわけじゃない。別物だ。脳の機序がどうこういう話ではない。それははっきり言っておかねばならない。別物だ。

そんで、今回の報道に対するリアクションを見るに、なにかこう、あれ、そうなん? と思ったことは確かだ。自分が書いた、上の記事を思い出したのは確かだ。あと、関係ないけど、十一年前の記事覚えてんのすごくね?

まあ、この件、よほどの重症にならねば病気に分類もされないはずだ。でも、それに対して、そうでもなさそうなゲームファンが、なんかちょっと反発しているというか、否定しようとしているというか。

それって、なんというか、ゲーム好きが本当に避けたいことに対して、逆効果じゃないのかって。つまりは、ゲームを批判、否定するために「ゲーム脳」を使っていたような連中に、同じように「ゲーム障害」の文字列を使わちまうと、困らないのかという。

だって、どっかの疑似科学者一人に比べて、WHOは権威があるし、たぶん信用度は高い。WHOの言うことがすべて正しいわけでもないだろう。でも、それなりの知見の集合だろう。

だからなんだ、ゲーム障害がほかのさまざまな依存症と同じようなそれの一種に過ぎないとしても、ピックアップされるくらいの症例数が世界にあったりするっつーなら、それはそれで認めておいたほうがいいんじゃねえの、かな、とか。病気の名がついても、それはそれとして、変に否定、否認しないほうがいいんじゃねえの、かな、とか。

……かな、とか、思うおれはアルコール依存症であり、ギャンブル依存症である。両方とも、ヴィデオ・ゲームに対するよりも長く、深い批判と否定の歴史がある。そして、その批判、否定を否定し難いのは明白だ。健康にいい適量の酒、というものは存在しない(らしい)。博打に人生を浪費させれば、行く末はお馬で人生アウト(らしい)。

というわけで、そんなおれが、アルコール批判、ギャンブル批判に対してどどういう態度をとるかというと……、頭隠して批判の弾がどっかに飛んでいってくれないかなとやり過ごす。それだけだ。

たとえば競馬について、病的賭博の問題、あるいは動物愛護的観点の批判、それに対してどうする? 競馬の長い歴史を持ち出すか? その文化の豊かさを陳列するか? スポーツとしての存在意義を説くか? 人間にとって賭博を含む娯楽が必要だと訴えるか? ただ、「ロマン」というか?

いや、なんにもしねー。否定もしねー。なんにも言わねー。聞こえねー。

そんなんなんだ。で、頭隠して、いずれ尻に一発食らって痛い目に遭う。だからまあ、なにかこう、痛い目に遭わないようにするためには、認めるところは認めて、その上で、「ゲーム障害」に余計なもんを盛ったおかしな批判や否定、冷たい目には「その部分おかしい」と指摘していくことじゃないのかなー、とか思うけど。いや、わかんねーけど、なんか防衛ライン決めてさー。

まあ、なんにも参考にならないね、結論もないね、ごめんね。

 

以上。

 

PS、あと、なんかPS4のいいゲームあったら教えてください。

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