あんたは自分が一生で一番たくさん袖を通した服がなんだかわかるかい?

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あんたは自分が一生で一番たくさん袖を通した服がなんだかわかるかい? あんたがいつ死ぬか知らないが、ともかく、今まで一番たくさん袖を通した服を。

おれには、たぶんこれだろいうという室内着がある。おれが十七歳か十八歳のころに買った室内着だ。今はなき、というか、いつまであったか知らないが、藤沢のトポスで買った……服だ。おれは衣服というものに詳しくないので、これをなんと分類していいかわからない。パーカー? かもしれない。ともかく、茶色い、薄すぎるわけでもなく、厚すぎるわけでもない、服だ。

トポスで、いったん通り過ぎたと思う。あまりに地味な服だった。だが、通り過ぎてしばらくして、「あれ、室内着によくないか?」と思って、戻って買った。室内着なのに、フードがついている。

十七歳か、十八歳というところには自覚がある。顔を合わさなくなって二十年経つ父親に、「おまえのそれは、いいルームウェアだな」と言われた覚えがあるからだ。この室内着は、おれが大学に通い、大学を中退し、ひきこもりになり、一家離散することになり、一人暮らしをはじめ、今に至るまで、ずっとおれを見てきた。それは確かなことだ。

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ブランドもの、であるはずもない。トポスに吊るされていた、地味な、茶色のパーカーだ。千円したか、しないか。「MODERN WORLD WIDE」とあるが、「OLD ROOM NARROW」な使われ方をしてきた。これを着てコンビニ行ったことがあるだろうか。ないような気がする。せいぜい、ゴミ捨て場か、自販機だ。それでもともかく、おれはまだ涼しいのかこれから涼しくなるのかわからない春か秋になると、この服を着た。着てきた。今も着ている。

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が、この間の日曜日、朝、シャワーを浴びて、Tシャツを着て、この服を着て、ジッパーを上げようとしたら、音もなく金具が壊れた。引っかかったとか、力づくだったとか、そんなことは一切ない。ただ、単に、自然に、金具が壊れた。スッと外れた。おれは何百回だか、あるいは千回以上だか、この服のジッパーを上げたり下げたりしてきた。そして、自然に金具がちぎれた。

おれは、どうしようかと思った。思って、ジッパーの中心部分を上げ下げした。まだ、使えるじゃないか。おれはこの服の現役続行を決定した。

あんたは自分が一生で一番たくさん袖を通した服がなんだかわかるかい? 子供のころのお気に入りの服、なんてものもあるだろう。だが、だいたいの場合、子供は大きくなる。すぐ大きくなる。もって数年。じゃあ、制服、たとえば中高一貫の学校に通って、中学から高校まで同じ制服を着たら? それでも六年に過ぎない。おれの場合は二十年以上だ。制服だって六年だ。もっとも、中学時代のジャージを大人になっても室内着にしている、という場合は強敵だ。いや、いつから敵と味方に別れたのか。あと、デニムとかになると、そうとうな強者がいるかもしれないので、「袖を通した」と書いている。

まあいい、そんなわけで、おれには二十数年着ている室内着がある。おれが童貞から非童貞に変わるまで、おれが精神を病む前から病むようになるまで、ともかくこの服はおれを見てきた。なんなら、おれが死ぬまで見てくてかまわない。おれが死んで、棺桶に入るような幸運に見舞われたら、そのときはこの服を着せてほしいとすら思う。それとも、黄金頭記念館が建てられたら、「黄金頭さんが一番たくさん着た服」として展示するべきだろうか。しかし、おれには記念するなんの成果もない。ほとんどの人間にはない。落合博満くらいの成果をあげた人間にしか、記念館はない。

まあいい、あんたには、そんな服があるだろうか? おれにはある。それだけの話だ。

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ちなみに、その次に長い室内着となると、UNIQLOUNIQLOのタグをつけていた時代のUNIQLOの長袖、というのがある。これにそれを重ねて着たら、おれの室内度は百点満点だ。そして、その姿は誰にも見せない。