『B面の歌を聞け Vol.1 服の自給を考える』を読む

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●ZINEというのだろうか、『B面の歌を聞け Vol.1服の自給を考える』をある方から頂いた。面白かったので一気に読んだ。正式にどこで手に入るのかよくわからないので、それは各自調べてください。

『B面の歌を聞け』イベント出店&販売情報 - 夜学舎

 

●Wordで作られたらしいが、なにか味がある。リソグラフだからだろうか。

 

●B面とはなにか。高度資本主義社会、大規模経済と大量消費をA面とした場合、DIY精神や自給自足、贈与、などによって回る社会、生き方がB面だという。田舎暮らしのようなものか、ヒッピー的なものか、オルタナティブというかよくわからない。

 

●おれがA面的な人間かB面的な人間かというと、紛れもなくA面の人間である。金を稼いで、金という匿名、無記名のものによって、生活に必要なものを買う。

 

●ただし、だ。おれはグローバル経済などというものとは無縁もいいところだ。日本から出たこともない。A面社会の底辺寄りで、抗精神病薬を食って、なんとか生存している高卒低賃金労働者に過ぎない。地理的に近いドヤ街である寿町に、心理的にも近い。経済状況的に近い。

 

●ちなみに、オリンピックなどあるとホームレスの排除といった問題が起きるが、野球とソフトボールの会場になった横浜スタジアム近くのホームレスは、開催中そのままだったろうか。高架下の石川町駐輪場前で寝起きしている爺さんは、そのままだった。かれらはA面なのか、B面なのか。

 

●して、A面のなり損ないというか、失敗作というか、敗残者であるおれにとって、B面がどううつるだろうか。正直、おれにはA面よりB面が厳しそうに思える。おれは人間というもの苦手だし、コミュニケーション不全といっていい。些細なことで仲違いするし、修復の方法を知らない。そういう人間にとって、人と人との繋がりが求められる社会はつらい。おれはひとりでいたい。そういうおれにとっては、顔の描かれていない金銭による機械的なやりとりが救いですらある。

 

●とはいえ、おれはその素晴らしいツールであるお金を稼ぐことについても、まったく興味が持てない。より稼げるように努力しようとか、自分のスキルを高めようとか思ったことは、ただの一度もない。

 

●馬券で稼ぎたいということについては、わりと努力しているが。もちろん、報われているとは言いがたい。

 

●資本主義の底辺にありながら、そこにしがみつくしかないし、かといって這いあがろうという気持ちもない。B面的な生活は想像できない。ただ、そうやって、ひきこもりのニートから無給労働者になり、なんとか衣食住をどうにかして、気づいたら20年も過ぎてしまった。なんの積み重ねもない。金もないし、花を入れる花瓶もない。将来の展望はさらにない。

 

●衣食住。この本は「服の自給」がテーマだ。「衣食住のうちで最も自給しにくいのが服ではないでしょうか」と書かれている。そうだろうか。住のほうが難しくないか、など思う。が、おれという無能者からすると、住居の建設も、服の自給も同じくらい遠い。採取、農耕、畜産からとなれば食も遠い。

 

●手に職を持つ、という言葉がある。この場合の「職」は単に自営業の能力、あるいは賃労働者として雇われる価値のある能力に限定されないように思う。それこそ、人間の生活の根源のところにある、衣食住に接近するところにあるかと思える。もちろん、プログラミングのできる技術者も手に職を持っていると言えるのだろうけど。

 

●おれはどうも手に職を持っていない。いくらかDTPもできるし、ほんの少しWEBに関することを解決できたりできなかったりする。少しは文章を書けるつもりでもいる。しかし、確固たるものとして、おれにはおれの職がない。そう感じる。

 

●本書には服を作れる人たちが出てくる。ああ、手に職があるな、と思える。おれにはないものだ。それを商売にしている人もいれば、「打倒西松屋しまむら」を掲げて、手芸は貴族たちだけのものではないと娘さんの服を作る人もいる。技がある。いいな。

 

●服の自給。かつては当たり前のことだった。とはいえ、いま40過ぎのおれは、母に服を作ってもらった覚えはない。幼稚園や小学校で用意せよとされた巾着袋などの小物は作ってもらった覚えはある。

 

●では、祖母はどうだろうか。かつて、一家離散する前、同居していた父方の祖母はミシンを使いこなせる人であった。たぶん服も作れただろう。が、たぶんそれは趣味とかそういう領域のことであった。なにせ、実家が金持ちであった。90歳を過ぎて認知に問題がでたあと、おれの母を「ねえや」と勘違いしていたくらいである。女中さんがいるのが当たり前の少女時代を送ったのだ。

 

●とはいえ、祖母の息子、ということはおれの父が没落してからは、豊かな生活とは程遠くなった。それでも手芸的なものは続けた。

 

●母を通じて、祖母の手作り品をもらった。祖母が80を過ぎてからのことである。手編みのマフラーであり、手編みの室内用ソックスだった。毛糸のソックスは、隙間風吹く安いアパート冬にはありがたく、いまだ冬になると現役である。着用した写真を母にメールし、それを見た祖母は喜んだという。悪くない。

 

●とはいえ、おれの衣服はもっぱら購入によるものである。貧乏人なので、安いファストファッションを買って、長く着る、これである。あるいは、誰かが高い金を出して買ったちょっといい服を、古着で安く買って、長く着る。これである。

 

●そんなおれでも、月給の半分くらいを出して買った服がある。羊革のコートだ。買ってから、もう10年以上経つ。ファッションの流行り廃りも関係ない。そのブランドも消滅してしまった。革の手入れをして、着続けている。これが着れなくなったらおしまいだと、最低限の体型維持を心がけている。冬が来るたびに「今年も着ることができた」と安堵する。次の冬はどうなるかわからない。おれが生きているかもわからない。

 

●なんの話やら、取り留めなくなった。これも、パソコンを修理に出していて、携帯端末で箇条書き的に書いているからだろう。

 

●ちなみに、冒頭の写真の右下の編み物的ななにかは、おれが編んだものである。編み物を人に習う機会があって、単純な平面を編めるようにはなった。編み物の単純作業に没頭している間は、まさに忘我の境地であって、ある種のセラピーになるかもしれない。ならないかもしれない。

 

●もう、編み方も忘れてしまった。なにか役にたつものを編みたいとは思わないが、編むという作業だけに没頭する、無目的の行為への思いはある。A面にもB面にも属さない、他人とも社会とも関係ないおれだけの世界。悪くない。