祖母が死んだ

三連休の最後の月曜日、おれは安いスコッチ(バランタイン・バレルスムース)を飲みながら、なんとか日本語化したCiv4をプレイしていた。ふと、携帯端末の画面が光ったような気がした。

LINEの通知であった。

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内容は、上の通りである。

父の母は数日前から入院していた。年齢は95歳を超えていたので、いつ死んでもおかしくはなかった。おかしくないと思っていたら、三連休最後の月曜日の夜に、死んだという。おれは着替えつつ、髪を整えつつ、上のLINEのやりとりをした。もう、死んでしまった。

おれは山手駅に走った。走る必要があるのかどうかわからなかった。なにせ、もう死んでしまったのだ。とはいえ、「おれ待ち」ということで母や弟、その他関係者を待たせてしまうのも本意ではない。おれは走ったり、歩いたりした。少し遠くを台風が去ったその夜、なにか異様に暑く、おれに汗をかかせるのは十分だった。

山手駅の近くに来た。「こういうとき、大人はタクシーを使うのではないか」と思った。が、磯子駅まで5分、それにもう死んでしまっている。磯子駅から徒歩15分らしいが、そのくらいなら歩くか。おれはそう思った。おれは10年ぶりくらいにタクシーに乗る機会を逃した。おれはあまり金を持っていない。

幸運なことに、電車はすぐに来た。おれは汗だくになっていた。「らしいじゃないか」と思った。磯子に着いた。病院に向かって歩いた。小走りしてみたりした。「らしい」からだ。思っていたより、ちょっぴり遠かった。

病院についた。が、「正面入口」というものがよくわからなかった。弟の携帯に電話を入れた。夜間緊急入口、というようなところが正解だった。弟が扉だとは気づかなかった扉から姿を現した。インターホンを押して、また中から開けてもらった。警備員のような人におれはこう言った。

「失礼します」

弟の後ろを歩いた。

「この病院、中が複雑でよく把握してねえから」

と言った。

そのわりには、スムーズにエレベーターまでたどり着いた。2階のボタンを押した。2階に着いた。暗い病棟、明かりのついた待合室のようなスペースで、マスクをした女性が携帯端末を操作していた。マスクをしていたので、おれはそれが自分の母であるかどうか確信が持てなかった。弟が話しかけたので、それは母であった。

祖母の亡骸はまだ霊安室に移動していないということであった。移動する前に会っておくか、ということになった。ナースステーションに声をかけ、ERのひとつ下のようなゾーンに入った。「一番奥」。おれは手をアルコール消毒し、マスクをして中に入った。

一番奥のベッドのカーテンが開いた。そこに、祖母の亡骸があった。祖母はリボンのような何かで口を固定されていた。「さっきまで口が開きっぱなしだったから」と母が言った。看護師さんが「開いたままになってしまうので、固定させていただきました」と言った。

祖母の顔を見ておれは思った。

「あれ、これ、祖母?」

事故や事件で亡くなった遺体を見て、肉親かどうかわからないという話はあるが、祖母はほぼ老衰に近い死に方をしたはずである。それにしては、なにかこう、「祖母だ」という実感がわかなかった。

というのも、おれが最後に生きた祖母に会ったのは一年、いや二年くらい前かおもしれない。軽く転んで骨折して、その病院の帰りに、おれの会社の近くを通るというので、母に会わせてもらったのだ。祖母は車の中、おれは車の外。まだ、おれがおれであるということを認識していたかどうか。かろうじて認識しているようにおれは思った。なにか言葉を交わしたと思うが、覚えていない。ただ、手を握った。おれは、もう会えない可能性のある人間とは、握手をして別れを告げる。そういう癖がある。おれの予感した可能性は、現実となった。

とはいえ、おれは、祖母が祖母としての自我があり、おれという人間を認識して、最後に会ったことを悪いとは思わない。なにもわからなくなってしまった祖母というのは、母曰く「狂女」のようだったというし、95歳をこえて、自分の部屋のエアコンが気に食わず、椅子に登ってコンセントを抜いたりしていたらしい。そのあたりの迷惑は母と弟にすべて投げてしまった。

最期にしてもそうだ。この日の昼に、母と弟は祖母を見舞っていた。おれに声はかからなかった。おれは従姉妹の結婚や出産も知らされなかったし、祖母の見舞いにも声がかからなかった。なぜか? おれがそのように生きてきたからだ、としか言いようがない。

おれは左右の手を組まされて固定された祖母の手を触ってみた。冷たくなっているとは言えないが、あたたかくもなかった。常温というところだ。いきなり人間の亡骸が冷たくなりはしない。病室のエアコンの温度は25℃。母から「昼に来たときは、肩に触れたら少し目を開いた」というようなことを聞いた。とはいえ、亡骸を前に、とくにすることもない。看護師さんに声をかけて待合室のようなスペースに戻る。戻る途中、いちばん緊急の病室の一つ下の病室に心電図を表示する機械につながれた、ほかの患者さんがいることに気づいて、少し驚いた。

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待合室の一角に雑誌や漫画が置かれていた。肉親の死を迎える前に『おとぼけ部長』を読んだ人がいるのかもしれない。おれは『ピアノの森』の、おれがアニメで見ていない部分をパラパラめくったりした。弟は「おれは『グラゼニ』を2冊読んだ」と言った。暑かったので、おれは額の汗をハンドタオルでぬぐった。ひょっとして、おれは酔っ払いの顔でここに来てしまったのか、と思った。まあ、それこそ緊急的なところを駆けつけた感が出ているのではないか、とも思った。

われわれは葬儀社の人たちが来るのを待った。11時ころ来る、という。短いようで、長く、長いようで短い、30分くらい。

と、看護師さんが来た。「霊安室にお移しします」というようなことを言った。また病室に行ったのかどうか。亡骸の顔には白い布がかけられていた。二人がかりでストレッチャーを運ぶ看護師さんのあとに従う。エレベーターに乗るさい、「頭からね」と言うのが聞こえた。

エレベーターで一階へ。そして、霊安室へ。霊安室に入るとき、看護師さんが部屋の表示をスライドさせた。それまで無記であったところに「霊安室」という単語が出た。気遣い、というものだろう。

霊安室の奥に、祖母を載せたストレッチャーが固定された。霊安室にはもう一つ出口があり、そこから病院の外に出るのであろう。看護師さんが「葬儀社の方が来るまで、しばらくお待ち下さい」と言って出ていった。

看護師さんが出ていったあと、弟が言うには、「看護師の一人は日本人ではなく、先輩看護師が経験を積ませようとしていた」ということだった。おれは、看護師の一人が外国人看護師らしい人だったかどうか、さっぱり気づかなかった。まだ、暑かった。おれはハンドタオルで汗を拭った。

霊安室で母子三人、そして祖母の亡骸、することはとくにない。おれは駅で買った水など飲んだ。暇だったので、祖母の頭の向こうにある、「ろうそくもどき」を見に行って、光るためのスイッチもないことなど確認した。

と、看護師さんが来た。「葬儀社の方が参ります」。

おれたちは待った。座を正して、待って、待った。「参ります」と言ってから5分くらい経ったと思う。おれは、もう、笑いが我慢できなくなりそうだった。「おい、参らないじゃねえか」。

人間が一番笑いそうになるのは、演芸場などではなく、葬儀場だと思う。霊安室もだ。不謹慎というものが人間を一番笑いやすくする。おれは沈黙に耐えられなくなりそうだった。

ついに、看護師さんが、外へのドアを開いて様子を見にいった。と、ようやく葬儀社の男が二人入ってきた。一人が母へ名刺を渡した。名刺には、その男の顔写真が大きく印刷されていた。おれはまた笑いそうになった。葬儀社の男のネクタイは、黒字にダークグレーのストライプが入っているのが見えた。スーツはもちろん黒。「まだ葬儀ではない」というあたりのネクタイなのであろうか。おれはそんなことを考えた。その葬儀社の男は、いったん亡骸を保冷する場所について説明して、パンフレットを母に渡した。

そして、男手二人で、祖母の死体を持ち込んできたストレッチャーに移した。祖母の足もむくんでいたのが見えた。ストレッチャーが病院の外への扉を通った。その先には、黒いアルファードが停まっていた。アルファードのナンバーは、タクシーと同じ色をしていた。ストレッチャーが車に運び込まれ、固定された。後部の扉が閉められた。葬儀社の男が、「それでは、お体をお預かりします」というようなことを言った。

アルファードが出ていく。母は両手をあわせていた。おれも少し手を合わせて、アルファードが出ていくのを見送った。見送ったのだが……。

アルファードは直角に曲がなかればいけない病院の駐車場の出口に手こずり、バックして切りかえした。「おい、そこはすんなりいけよ」と思った。おれたちは見送りの姿勢を保ってんだ。

と、次は駐車場出口の支払い機だった。機械の声で「チュウシャケンヲ……」などと言うのが聞こえる。え、あんたら、この病院に出入りしてる業者なのに、普通に駐車料金払うの? とか思った。思ったが、そうだった。切り替えして妙な角度になったアルファードの運転席のドアが開き、葬儀社の男がお金を投入し、釣り銭がジャラジャラ出てくる音が闇夜に響いた。そこで流れる「リョウシュウショガ……」と機械の声。

おれは、おかしくてしかたなかった。ちょっとしたコメディ映画のワンシーンのようだった。すんなり死体運搬車が病院から出ていく、と思いきや、だ。すごく間抜けじゃあないか。

……そんな話をしながら、われわれは母の運転する車に乗っていた。「間門の交差点で左折してください」、とおれは言った。

祖母は死んだ。母と弟、病院の人、葬儀社の人、人間の死はいろいろな人の手を煩わせる。人間の死とはそのようなものなのだ。まだ、家族のようなものがいただけましかもしれない。おれのような身寄りのなくなる人間が死んだら、余計だれかの手を煩わせる可能性がある。とても、面倒くさい話だ。人間の死体など、医療廃棄物として、遺族というのが願わないかぎり、とっとと処分しても構わないのではないか、などと思った。いや、やがてはそうなっていくのだろう。

ちなみに、祖母は大の人間嫌いであって、通夜も葬式もいっさいいらないとずっと言っていたので、そのようになる。それがいい。とはいえ、金はかかる。人間は生きるのに金がかかるし、死んでも金がかかる。

おれは部屋に帰って、顔を洗って、服を着替えた。そして、喪服を引っ張り出してみた。ネクタイが見当たらない。しかし、そもそも精神に異常をきたしている父がおれと会いたくないなどと言い出したら、おれがひくことになるだろう。べつにそれでも構わない。夜の病院での出会いはおかしかったし、最後に握手をしたのだから、もうそれでいい。

 

続編。

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「あのね、●●さん(祖母の兄)が一高で、その先輩に、日本で最初に野球をはじめたって人がいたの。野球殿堂に最初に入った人。それで、その頃はプロ野球なんてなくて、六大学野球でしょう。毎年、年間指定席を買って、しょっちゅう見に行っていたの。ネット裏は、ネットが邪魔だからって、三塁側席だったから、すぐそこでプレーしていたの見たものよ」

祖母の死は世間的には一人の老女の老衰死だが、鶴岡一人大学野球で三塁でプレーしていたのを直に見ていた人間の死となると、ひとつの特別な死のように思える。

 

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祖母は大の病院嫌いだったが、病院で死んだ。とはいえ、わけもわからなくなったうえでのことなので、そのあたりは本人に本望も無念もないだろう。