ゲルツェンはPUMA、オガリョフはadidas(はたして、そうだろうか?)

f:id:goldhead:20190923012014j:plain

 一八二八年、ふたりの少年がモスクワ市をみおろせる雀が丘の上に立っていた。眼下をまがりくねって流れるモスクワ川には小さな舟が浮かび、地平線にシルエットをみせている多数の教会の尖塔や円屋根は落陽にかがやいていた。木造の民家は夕もやの中にかすんで、川原の雑草のかなたに没していた。

松田道雄の『ロシアの革命』はこのような書き出しで始まる。二〇一九年の秋、おれの秋ははじまっていない。薄手の長袖TシャツにPUMAのジャージ。歩いているとすこし暑い。ふたりの少年、一人はゲルツェン。おれが履いているのは夏が始まる前に買ったadidasの白いスニーカー。夏が始まる前に、おれはいつも白いスニーカーが欲しくなる。夏が始まる前に、おれは白いスニーカーが欲しくなったので、おれは夏が始まる前に白いスニーカーを買った。夏に白いスニーカーを履くのは正しい。

はたして、そうだろうか?

ふたりの少年、もうひとりはオガリョフ。おれのジャージはPUMA、スニーカーはadidas。おれは立ち止まりはしない。かといって走りもしない。タフに、ラフに。あるいは、ラフ・ラフ・アンド・ダンスミュージック。おれはべそをかいたりしない。おれは泣くときは泣く。軽快にステップを踏みながら、おれは泣きじゃくって、おれは桜木町から関内まで歩く。京浜東北線の線路に沿って歩く。モスクワ川はおれが横浜に引っ越してくる前に埋め立てられてしまったという。

ところで、最近気づいたのだが、おれには人の心というものがないようだ。気づいてみたらそうだったのだからしかたない。おれが思うに、心というものがあると断言できる人間というのは十人いたら二人か三人くらいじゃないかと思うのだが。

はたして、そうだろうか?

松田道雄は『ロシアの革命』のあとがきでこのようなことを書いた。

 「ロシアの革命」などという本をかかなければならなかったのを、まったく不運だと思っている。私は「ランセット」だの「サイエンティフィック・アメリカン」だので、徒弟時代これはまだわからないといわれたことが、明快に説明されるのをたのしんでいてもいいはずだった。

 リタイアード・ドクターがこんな本をかかねばならなくなったのは、マルクス主義を本職としている学者たちが「ロシアの革命」をかかなかったせいだ。この本をかいたあとで感じるのは被害感だけだ。

 原稿を本にしてくれた河出書房の編集者に私の部屋でモダンジャズをきかせるだけで、この鬱憤をぶちまけられなかったことも、今となっては残念だ。

 ただ、ひとりで一冊を書く約束をはたせたのは満足に思っている。

                              著者

 日本のマルクス主義はロシア製だと松田道雄は言う。ソ連から来た東回りの左翼思想と、ヨーロッパ、アメリカを巡ってきた西回りの左翼思想があるだけだと外山恒一は言う。ゲーミングPCらしきものを買ってみたが、Civをやるなら最新のがいいのか、傑作の名高いIVを買うべきなのかわからないとおれは言う。

台風が来ている。西の方に来ている。やけに蒸し暑い夜だ。おれは安い焼酎を流し込む。エアコンは25℃の設定。急に立ち上がって、一回りする。洗濯物に腕をぶつける。今年の夏はほとんど蚊とゴキブリに出会わなかった。おれに恋してくれる日に焼けた少女とも出会わなかった。

蚊とゴキブリと少女。蚊とゴキブリを殺してもジャイナ教徒になにか言われるくらいだろうが、少女を殺すと警察に捕まるかもしれない。法で裁かれるかもしれない。最近知ったことなのだけれど、人間同士の関係、すなわちその契約を、神権や法より上位におくものを封建主義なのだという。今の日本は、法治主義の国だ。

はたして、そうだろうか?

ワールドカップの前にHUBの株を仕込んで失敗したおれは、「ラグビー好きのビール消費量はすごい」という話を聞いてもHUBの株を買わなかった。関内で、桜木町で、おれはラグビー好きとしか思えない外国人をよく見かけるようになった。おれは秋になると、秋らしいスニーカーが欲しくなる。冬になるとごついTimberlandを欲しくなる。持っているのに、欲しくなる。この卑しい物欲の豚を、罵ってください、打って下さい、蔑んだ目で見てください。ああ、あなたはありえなかったおれの青春、日焼けした夏の少女。フェリックス・ジェルジンスキーの峻厳さで罰してください。「おまわりさん、こいつです」。How my dark star will rise?

雨の中、そいつはやってきた。おれの安アパートのドアを叩いた。呼び鈴なんてものはついていないから、ドアを叩くしかないんだ。ドンドン! 

「はーい」

おれはドアを開けた。濡れたレインコートを着て、そこに立っていたのはピザ屋の配達人だった。あどけない顔をした少年、おれの半分も生きていない。おれは、ピザと、サイドメニューを受け取った。おれはこのごろ一人でMサイズのピザを食うのがたいへんになってきている。それなのに、クーポンで無料だとかいうと、ついついカートに入れてしまう。支払いはクレジット。配達人は品物とレシートを渡すだけ。ピザ屋に現金を支払っていたのはいつの時代だ。今どきそんなことをしたら、グレッチでぶたれちまう……。スラブの栄光とバルカンのギリシア正教を守るために。

はたして、そうだろうか?

いかにも、うまく行っていない。なにがうまく行っていないって、このテキストだ。安い焼酎をあおって、バック・スペースキーで全部消しちまうか。でも、もしもあんたがこれを読んでいたら、おれはそうしなかったってことだ。おれは消しちまうか、と言いながら、消しはしなかったんだ。だから、あんた、今、読んでるよな。

はたして、そうだろうか?

そもそも、おれがなにか述べるとき、述べるおれはおれの過去なのか未来なのか、そこがわからない。おれの現在というものはこの刹那に消え去ってしまう。おれが述べようとすることは未来にあるが、おれが述べたときには過去になっている。ここにこうやって並んでいるおれの考えというものはおれの過去の記録なのか、未来の記憶なのか。おれがおれの述べることがどうしてもおれと同一ではありえないというのに、少なくともこうやって言葉に、文章にしているおれはおれでしかありえない。だからおれは心がないと言ったんだ。このごろのおれはNulbarichばかり聴きながら、そんなことばかり考えている。すでに去ったものは去らない。未だ去らないものも去らない。去りつつあるものも去らない。おれは狂っちまったのか。自問しているうちはまだ正気のうちだ。

はたして、そうだろうか?

それにしても、神戸新聞杯のサートゥルナーリアは強かった。おれはテレビで皐月賞の映像が流れるのを見て、やっぱり強いよなって思ったんだ。それで、三連単の頭にして、二着欄と三着欄にユニコーンライオン(意味のわからない馬名だ)とヴィントなんか入れたりして、想定払戻金が十万を超えてるのを見て笑ったりしてたんだ。ユニコーンライオン(ユニコーンなのか、ライオンなのか?)がシフルマンに先着しちまったせいで、八頭立てのレースが完全に人気通りの決着に、とはいかなかったな。ところで、竹之下ってのはどんな騎手なんだ? ヴィントみたいなやつなのか? ヴィントってなんだ? ヴィルベルヴィント(Wirbelwind)は、第二次世界大戦時のドイツ国防軍の対空戦車。正式名称はIV号対空戦車ヴィルベルヴィント(Flakpanzer IV Wirbelwind)。もうドイツの空の上をソ連の戦闘機が飛ぶことはない。

はたして、そうだろうか?

これからは無人機の時代だ。巨大無人飛行空母から数え切れないほどの無人機が射出される。無人機はなんの躊躇もなく、標的を破壊する、標的の人間を抹殺する。民間人への無差別爆撃というものはもうあらわれないかもしれない。

はたして、そうだろうか?

民間人への空爆という思想を編み出したのはイタリアのジュリオ・ドゥーエという男だ。ドゥーエが現代の小型無人機を見たら何と言うのだろうか? 「おい、あの飛行機、プロペラがついてないぞ」って言うと思う。たぶん、イタリア語で。

今、時計を見たら二時二十二分だった。潮時だと思う。おれはこの記事を公開して、ノートパソコンを閉め、首を吊る。おれがこのテキストを消すか消さないかよりは、あんたにとって不確実なことだろう。おれは月曜日も休みなので、月曜日から金曜日まで設定してある朝のアラームをオフにした。どうやら、おれは明日以降も生きる気でいるらしいのだけれど。

はたして、そうだろうか?

 

 

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)

世界の歴史〈22〉ロシアの革命 (河出文庫)