またまたまた寄稿いたしました。
読んだ?
読んだですか?
読んでしまったのですか?
というわけで、もう死語になっているかもしれませんが、「親ガチャ」について書きました。
「親ガチャ」って、なにかっていうと、「人間が人間を知りすぎてしまった」ことの帰結の一つだと思うのです。まあ、そういうことを書いたので、あらためて書くことはないのですけれど。
まあともかく、どっかで「知りすぎ」が起きてしまった。肉や骨や内臓について知ることは、まあそれほどでもない。怪我や病気への対処に役立つくらいで、デメリットはあまりない。初期の解剖がどのように行われていたかとかは別として。
でも、どこかで質的な変化が起きた。大きな転換点があった。そう思うのです。
それは、どこだろうか。やっぱり脳だろうか。脳について知ってしまった。いや、まだまだ未解明なところもあるけれど、こいつの存在に気づいてしまった。おそらくは意識の根源の大きなところ。
意識といえば、たとえば無意識の発見というのも大きかったのかな。フロイトというと、今の心理学だとか精神病理学にとってもう使い物にならないのかもしれないけれど、無意識を発見したのはエポックメイキングだったんじゃないのかな。
とはいえ、意識とはなにかというと、難しい。一足飛んで、「人間とはなにか」ということになる。たとえば、脳深部刺激療法で精神疾患を治療、みたいな話もあるけれど、外的な刺激で変わってしまう人間の意識、精神とはなんなのか。心とはなんなのか、ということになります。
そういう点で参考になるのはSFということになるかもしれません。『攻殻機動隊』でもいいけれど、電脳と義体化された存在は人間なのかなんなのか、とか。あるいは、AI、ロボットの人格があるのか。いろんな作品があるでしょう。
そして、もう一つ、遺伝について。これについても、おそらく人間はだいたい大昔からなんとなく知ってきたことでしょう。じゃなきゃ「鳶が鷹を生む」なんて言葉も生まれない(この諺がいつできたのか知らないけれど)。まあ、これがもう、やはり未解明なところも多いけれど、ずいぶんと知られるようになってしまいました。
それに加えて、統計や分析によって、富が富ばかりを次代に伝えるわけでないこともわかってしまいました。ここでも人類は知りすぎてしまいました。
動物は動物を知りすぎることはありません。目の前にある一つの生がすべてです。もちろん、結果的に種の存続に適してきた動物が生き残っているわけですが、それは偶然です。
一個体が我が身を犠牲にして己と同じ遺伝子を持つ同族を生かす例があるかもしれませんが、考えてやっていることではありません。そこでそういう行動をするような性質を持った種が命をつないできただけです。
しかし、そういうことも人間は人間自身についてわかってしまった。どうしますかね。上の記事で自分は滅ぶか、進化するか、というようなことを書きました。
でも、まだべつの道もありますかね。それこそまたSFですが、「それ以上はよくない」と遺伝子工学やらなにかにアームロックをかけて、止めてしまう。科学技術の進歩も、止めてしまう。なんなら、わざと後退させた世界を作って、新しく生まれる人類に原始的な生活をさせる、なんていう話もたくさんあるでしょう。主人公はおそらく原始的な世界の偽りに気づいて、世界の真の姿を見て、みたいな話。
まあ、これについてはSFすぎるのですが、一つの考え方かもしれません。どっかでブレーキをかける。
でも、かけられないだろうな。
たとえば、昨今の地球温暖化については、人間の科学技術の進歩によってもたらされたものと考えて差し支えないところまで来ているでしょう。だからといって、「人間生活を近代化以前に戻そう」という人は……いないことはないと思いますが、少数派でしょう。温暖化を引き起こした技術を、べつの新しい技術に置き換える、刷新する、進歩させる。そういう解決法がメーンになるでしょう。むろん、生活の細々としたところで不便が生まれることはあるでしょうが(レジ袋有料化が効果あったのかどうかはしらない)、大きなところでは、置き換わっていって、より便利にすらなる。半歩下がっても三歩進む。
と、考えるのは、ちょっと自分が科学技術を信奉しすぎているのでしょうか。ちょっとよくわからない。でも、人間は歩みを止めない。
で、話はずいぶん逸れてしまったようなのですが、この科学技術の進歩に、人類が人類をどう扱うべきか、人類はどうあるべきか、というのが置き去りになっている気がするのです。それこそ、個体として反出生主義的な発想に行き着くこともあるでしょうし、人類は減るかもしれない。
人類が減ること自体は、ひょっとしたら地球環境の存続にいいことかもしれませんが、減りすぎて滅ぶかもしれない。それで滅んだら、それはそれでなかなかにユニークじゃないかと思うのですが、なにと比較してユニークなのかよくわからない。
そこで、最後の人類が宇宙のどこかに向けて、この人類史の終焉のいきさつを送り出したらいいな、などと、またSF的な妄想をするわけです。さよなら人類。
おしまい。