また寄稿いたしました。
宇宙の時代でございます。
で、ちょっと書いたんだけど、なんかもうちょっと後に生まれたかったって思いません? 宇宙も身近になるかもしれないし、メタバースというのが本物(おれの基準では電脳化必須)になるかもしれない。セグウェイなんかじゃなくて、簡単に空も飛べるかもしれない。おれは高所恐怖症なので乗らないけど。
そう考えると、なんか中途半端な時代に生まれたな、と思ってしまう。
が、なにが起こるかなんてのはわからんし、予想もつかん。というか、インターネットというものが誕生するちょっと前に死んだ人は、インターネット的なものを想像しつつ、もうちょっと生きていたかった、と思っただろうか。一部の技術者やSF作家はそう考えたかもしれないが、だいたいの人間にとって想像もつかない世界だったはずだ。
とすると、おれなどは民間のインターネット黎明期から始まり、まあ今現在まできている。「インターネットを体験したかった」と思って死んでいった先人たちにとってみれば、十分にうらやましいということになる。
ゲームなんかもそうだろう。おれはだいたい物心ついたときに「ファミリーコンピューター」が出たファミコン世代で、PS5は持ってないけど、ここまで来た。つねにゲームをやってきたわけではないけれど、「家でビデオゲームができる時代がくるのかな」と思いながら死んでいった先人がいえれば、おれはどれだけ恵まれているのかわからない。
スマートフォンなどは、ジョブズがバーンとiPhone出さなければここまで普及しなかっただろうし(iPhoneがスマートフォン的なものの完全なオリジナルかどうかはしらない)、それを想像していた人も少なかったろう。
ただ、どうにも慣れというのはおそろしいもので、ネットにはつながって当たり前、実車と見紛うばかりの映像でゲームをやるのも、多機能なパソコンに高性能なカメラを併せたような手のひらサイズの携帯端末を持つのも当たり前になってしまった。いや、当たり前ではない世界もあるが、まあ少なくとも現代日本のおれ、というところで。
というわけで、おれが宇宙時代とか、電脳時代とか夢見るのも、わりと的はずれな夢かもしれず、次の時代になにがくるのかまったくわからんところではある。少なくとも、「もう人類はだいたい技術を作り上げてしまったし、これからはこのごろのiPhoneのバージョンアップくらいの進歩しかないだろう」ということはないだろう。AIがすべてを変えてしまうかもしれない。
だから、まだ見ぬなにか、一部の技術者やSF作家の頭の片隅にしかないなにかが世界を覆うこともあるだろう。おれにできるのは、現状に満足しつつも、なにか来る「次」の話を、注意深く探すことくらいだろう。それを考えて夢想にふけることくらいだろう。宇宙旅行はもうちょっぴり「夢」ではなくなってしまった。
というわけで、人類いつでも過渡期。まあそうとはいえ、「次」とか言ってたら、明日の朝、いきなりおれが冷たくなって発見されている可能性もある。人類が滅ぶ可能性もある。まあ、いろいろある。なんにもないよりは、いろいろあるほうがいいだろう。おれは懐古趣味というか、古い時代の、古い考え方に引っ張られつつも、本質的には未来を見たくてしかたない人間かもしれない。「近い未来に21世紀がやってくる」という時代に生まれた世代の特徴かもしれないが、そのあたりはべつに統計を見たわけでもないのでわからない。21世紀初頭生まれの人は、あまり22世紀への憧れは抱かないかもしれない。それもアンケート結果を見ていないのでわからない。ひょっとしたら、21世紀初頭に生まれた人間は300年くらい生きるのが普通の世の中になっているかもしれない。そんなものだろう。