失われた聖地・広島について

おれの父は、自らの生まれ故郷である広島についてよくこう言ったものである。

「原爆が落とされて100年は草木も生えないと言われたものだが、木も草も生えていたぞ」

そして、言外に自分も広島で生まれたのだと。

父は双子として生まれた。双子の弟は生まれつきの障害者であった。知的、そして身体的に。父の方は健常者であった。東京の大学に進むために、高校時代から大阪でひとり下宿暮らしを始めた。一浪して、大学は早稲田大学政経学部に進んだ。東京である。浪人時代には上京していたと思う。

すると、父が生地として、故郷として語る広島は、彼にとって幼年期から中学生までの間のことである。だが、父にとって故郷といえば広島にほかならなかった。ただし、おれは父から広島の街について詳しい話を聞いたことがない。広島には太田川という川が流れている。そのくらいである。

ただ、広島の名を背負ったものについて、物心つくかつかないかといったおれに刷り込んだものがある。広島東洋カープ、これである。

おれは、北海道は札幌で生まれた。父が東京から異動していた先で生まれた。生まれただけで、一歳になるか二歳になるかわからないうちに、神奈川県は鎌倉市に引っ越した。そこには祖父が自宅を構えており、増築して二世帯住宅にした。おれはおれの故郷を鎌倉と思っている。鎌倉は神奈川県にある。神奈川県は関東地方にある。しかし、おれは広島東洋カープのファンとなった。

誘導尋問があった。記憶があるのだから、物心がついていたころといっていいだろう。幼稚園には入っていただろう。テレビで野球中継が行われていた。広島と巨人の試合である。そこで父はこうおれに訪ねたのである。

赤と黒のチーム、どっちを応援する?」

そのときのおれにとって、赤というのは戦隊ヒーローものの主人公の色であった。太陽戦隊サンバルカンの赤である。黒は悪者の色だ。おれは迷わずこう答えた。

「赤!」

戦隊ヒーローものに「黒」が加わるのは次の作品からだった。太陽だからといって大洋を連想するほど、ホエールズについて知らなかった。

おれはやがて、父の思想でもある「赤」ではなく、アナキズムを象徴する「黒」に傾倒するのだが、それはまた別の話。

そうして、おれは幼き広島東洋カープファンになった。父と祖母から繰り返し広島東洋カープの歴史を教えられた。市民球団であること、樽募金のこと、偉大なるルーツ監督のこと、古葉監督のこと、初優勝のこと。

おれはすっかりカープファンになった。しかし、神奈川県鎌倉市、そこにはカープファンの子供というものは存在しなかった。ある日、学校で「どこの野球チームのファンか」という話になった。授業中ではなかったとは思う。今よりは子供たちが野球を見ていた時代のことである。忘れもしないが、8割の子供が「巨人ファン」に挙手した。残りの2割くらいがホエールズのファンで、カープファンはおれだけだった。

それでも、おれは赤ヘルのファンであり続けた。横浜スタジアムに大洋との試合を見に行ったことはあった。広島市民球場に行ったことはなかった。横浜スタジアムでは、贔屓の高橋慶彦のキーホルダーを買ってもらった。試合はポンセのホームラン一本で決まった。

広島市民球場。おれにとっての聖地であった。おれにとって特別な響きをもつ場所であった。遠い異国の地でメッカへの巡礼を夢見るイスラム教徒のような気持ちであった。イスラム教徒にしてみれば、たかが商業スポーツと比べるな、というところだろう。でも、おれにとっては、異国のカープファンとして、一度は訪れるべき場所でありつづけたのだ。

が、広島市民球場はなくなった。10年くらい前の話になる。10年くらい前のおれは今のおれと同じくらい金がなく、今のおれと同じくらい暇もなく、今のおれと同じくらい行動力がなかった。おれは、広島市民球場がなくなるのを黙って見ていた。おれには、「なくなる前に行かなければならない」という衝動もなにもなかった。

行くべきところに行けなかった。そこに、大きな後悔があったのか。否。おれは精神を病み、そんな遠いところに行くことなど、夢のまた夢であった。諦念が平常心となり、希望や期待というものはどこかに捨ててしまって久しくなっていた。おれには自分でなにかを実現する力がない。能力も金もない。おれは社会の底辺で、なにもしなかった。なにもできなかった。なにもしないのがおれだった。

一方で、父はどうなったのか。ひどい糖尿病を患い、精神を病んだ。おそらくはおれと同じ双極性障害、その他、病弱な弟ばかりに両親の愛情が注がれていたことへのトラウマ。おれは医師でもないので断定はできないが、身近で長年見てきた家族、そして、精神障害者の当事者としての見立てである。ただ、おれの発症はしばらく経ってからのことであって、その当時はわからなかった。どんな大事な仕事が入っている日でも、朝、寝込んで動かないでドタキャンする。周りの人間に多大な迷惑をかけた。事業にも失敗して、酒浸りになった。おおよその時間ふせっていたが、たまに暴れることもあった。もう家がなくなるよ、というときにもなにもしなかった。しなくて暴れた。おれは父の左目を思い切り拳骨で殴りつけた。父の目は、なんか変なふうになった。そのとき、おれは大学を中退したニートだった。ある種の地獄がそこにはあった。

そんな地獄を経て、父と断交してもなお、おれはカープのファンである。遠い関東の地でカープを応援している。広島の新しい球場に興味はないし、おそらく一生訪れることはできないだろう。だいたい、スタジアムのチケットすらとれなくなっているというではないか。そう、近ごろは、全国的にカープを応援する人が増えたというが、べつにそんなことはどうでもいい。いずれにせよ、おれ自身でもおどろくほどに、おれはカープが好きだ。カープの本拠地は広島だ。広島はおれにとって特別な響きがある。

ただ、おれが広島について知っていることといえば、カープの球場があって、原爆ドームがあって、太田川という川が流れている。ひょっとしたら、人々はよくお好み焼きを食べているのかもしれない。あるいは、太田川のほとりで。どこかに分岐点があって、おれにもそんな人生があったかもしれない。たまには、そんなことを思わないでもない。

 

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