ヴォネガットが生きていたら、プーチンの戦争になんと言っただろう?

寄稿いたしました。

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ヴォネガットの卒業式講演を主に集めた本を読んだわけです。

 

 

こんな本あったんやな、という感じで、しかも翻訳者は円城塔か、いや、SF作家だからいいのか、とか思ったり。

内容的には、まあ「ヴォネガットらしい語り」であって、あっと驚くようなことはありません。それはまあ、おれがヴォネガット読者であったからわけなんですが。

それにしちゃ、この日記にヴォネガットの本の感想少ないな、と思ったあなた、それはもう、この日記なんかを書き始める前にたくさん読んでいたからですよ、と。

というわけで、自分という見たり、感じたり、考えたりする主体があるとするならば、それを形成するものの一つとして、ヴォネガットの本があります。声があります。

すると、たとえば、今行われているプーチンのロシアによる戦争なんかについても、「もしヴォネガットが生きていたら、どんな発言をしたのだろうか?」とか想像したりもします。

ヴォネガットと戦争、戦争とヴォネガット。これは切っても切り離せない話です。なにせ、第二次世界大戦に従軍してヨーロッパで死にかけている。初期の本はとくにその影が色濃い。影というか主題そのものだったりする。ドレスデン爆撃を非難し、原爆を非難しつづけた。

 

この本にはこんなことが書いてあった(自分の日記にあったので引用する)。

 わたし個人は、焼夷弾攻撃の思い出をぜひともなまなましい形で保ちたい、とは思いません。もちろん、人々が今後何年ものあいだこの本を読んでくださればうれしいのですが、それは、ドレスデンの悲劇から学ぶべき重要な教訓があるからではありません。わたし自身、そのさなかにいて学んだのはただひとつ、人間というものは戦争ですごく興奮すると、偉大な都市を焼き尽くしたり、その住民を殺したりまでするんだなあ、ということです。
 それはべつに新しい発見ではありませんでした。

「人間というものは戦争ですごく興奮すると、偉大な都市を焼き尽くしたり、その住民を殺したりまでするんだなあ、ということ」は「べつに新しい発見ではありませんでした」ということだ。

プーチンの戦争も、とりわけ新しいものではない。むしろ、古典的と言われているくらいだ。でも、戦争に新しいも古いもない。

さりとて、人間に完全に絶望することもなく、過度に期待することもなく。ピース。

 

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