ところでヴォネガットってSFじゃねえの?


 『ロッキー・ホラー・ショー』はともかくとして、ここんところはてなSF小説の話題を見かけるけど、あんまりカート・ヴォネガットの名前を見ないような気がすんの。なにせおれは『チャンピオンたちの朝食』で初めてSF小説に触れたと思ってて、これぞSFという思いがあったりして、なんか違和感あったりなかったり。なんかヴォネガット埒外

 といっても、なんというのか、すごい忘却があって、ひょっとしたらキルゴア・トラウトは実在しないんじゃないかと思ったりするくらい記憶が曖昧模糊としていて、はっきりと「ヴォネガットのこれがおすすめだ!」みたいなの言えないし、「この作品がわりと正統派? SF? ですよ?」というのすら難しい。『タイタンの幼女』? なんか違う。つーか、おれ自身「ヴォネガットは別の部屋にいた」とか書いてるじゃん([『デッドアイ・ディック』カート・ヴォネガット/浅倉久志・訳 - 関内関外日記(跡地))。忘れてた。
 忘却、そうだ、すごく忘れている。7年も前だ。いまなら、また『リングワールド』や『宇宙のランデヴー』シリーズをどきどきしながら読めるかもしれないし、『虚無回廊』に夢中になれるかもしれない。なんなら『妖星伝』に取り掛かったっていい。一度読んだらおしまい? いや、そんなことはないかもしれないかもしれなくもない。そのへんどうなんだろ。いや、『タイムクエイク』再読したりしてんな(http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20050824/p2)。
 というか、やっぱり「もしおれが選ぶなら……と、いくらかのSF本の塊を押入れから出して見て思ったのは、二度目どころか一度目すら読んでないのだらけだということだった。ル=グウィンなんて未読の方が多い上に、ダブってるのが二作、ツーペアになってんぞ。それに、『ザップ・ガン』から始まったおれの大好きなディックのですら未読っぽいのがある。タイヤの溝掘り職人が出てくるやつは読んだ。『ユービック』や『高い城の男』なんかはいくらでも再読できるだろう。それに『ヴァリス』二部作に『ティモシー・アーチャーの転生』となると、一生読み返したっていい。え、最後のSFかって?。どうでもいいだろ。
 その上、ほとんど内容を覚えていないのに、頭の中の面白かった箱に入ってる、もっとやっかいなのがあったりもする。『スキズマトリックス』に『ブラッド・ミュージック』とか。スタージョンもどれを読んだのやら。女に貸して読んでない、というパターン。
 ……なんか古いのばかりかもしれない。そうだ、もしベストなんとかを挙げるならウィリアム・ギブスンを外せないだろうが、『クローム襲撃』か『ニューロマンサー』シリーズとなるだろう。そのあとのいくらかは読んだが、ここ最近のとなると未読だ。
 あ、未読のだらけってよくね? おれ、最近のSF読んでねえし、日本のSFも知らないんだ。やったー! まだ楽しみがあるー! というか、枕元に『祈りの海』とかあんだけど、あんまり進んでねえや。
 つーか、今おれが夢中になってるのはアントン・チェーホフだったりするので、SFの沃野はしばらくとっておこう。二十年上の女に『虐殺器官』貸した見返りに、先に向こうが買った『ハーモニー』借りたりしてんのとかもしばらくおいておこう。それじゃあ、余計な話に首突っ込まないよう、『タウ・ゼロ』の速さでそんじゃーね。