マンボウやしろ『あの頃な』を読む……あの頃を思い出すために

 

……新しい生活様式とかニューワールドオーダーとかネクストフェーズとか、なんかいろいろな言葉や概念がどんどん押し寄せてきては、僕らを追い抜いていくような感覚がありますけど、そういう類のことではなくて、僕にとって、自分の人生にとって、何が一番大切なのかの輪郭がくっきりし始めた感じです。

 何かひとつくらいいい事ないと悔しいじゃないですか? コロナにやられっぱなしみたいで、癪じゃないですか? だから自分にそう言い聞かせてるだけかもしれませんが、これは多分錯覚とかじゃなくて、絶対に僕の中にあるものなんですが、ようやく気づけた気がします。僕はラジオが心から大好きなんです。そして、スタッフやリスナーさんは僕にとって大事な人たちなんです。

 

おれの職場では一日中TOKYO FMを流している。午後五時になると流れてくるのがスカイロケットカンパニーだ。マンボウやしろとシルキーボイス浜崎美保の名コンビ。浜崎さんは本当にいい声で、声優とかやってほしいとか思ったりする。

 

で、マンボウやしろというのは、ラジオのパーソナリティとして真摯で誠実な人だと感じる。元お笑い芸人(カリカ)だ、番組が真面目というわけじゃあない。むしろFM的でないバラエティだ。しかし、マンボウやしろが社会問題などに触れるとき、実に気配りができていて、しっかりとした芯のようなものがあると思う。社会情勢やリスナーからの相談、そこにある種の心根の良さと頭の良さを感じる。

 

そのマンボウやしろが小説を出した、というので今更ながら読んでみた。タイトルにあるように『あの頃な』、「あのコロナ」。コロナ禍を描いた短編集。いや、もっと短い。ショートショートといっていいだろうか。

 

根底にはコロナ時代というテーマはあるが、話の種類は多種多様だ。このあたりはお笑い芸人をやり、ラジオのパーソナリティも長く、舞台やドラマの脚本家をやっているあたりの引き出しの多さだ。

 

正直、小説的な表現をあえてしているのかな、というところにちょっと違和感はあったりする。しかし、台本調で書かれているものなどは、実に手慣れている感じもある。会話も自然だ。笑いも用意されている。

 

なかでもよかったのは、三部に別れて収録されている、ラジオものである。緊急事態宣言下でどんな曲を流せばいいのか、ちょっとした発言でTwitterが炎上した……どこまで実際にあったことかはわからない。しかし、やはりスカイロケットカンパニーで悩んでいたのも確かだろう。とくにコロナについて言及するときは慎重だったし、今もそうだ。景気が最悪になった飲食店に肩入れすれば医療関係者から非難され、自粛ばかり主張してはそれで潰される業界の人たちから悲鳴が上がる。

 

じつに難しいところだ。そして、読んでいて思ったのだが、コロナ流行開始時などは、まだ手探りの部分も多く、もっともっと大変なことになっていた。たしかに街から人が消えていたし、社会が異常な感じだった。

 

今現在をウィズ・コロナといっていいかどうかはわからないが、さすがにあるていど慣れが出てきている。今年、感染者数が最高値になったときですら、広がり始めた「あの頃」とは違った。

 

そんなことを、思い出したりした。コロナ前と以後も違うが、コロナ中(今もそうだ)でもいろいろと移り変わる。そんな中で、こういう記録(これはフィクション、小説だけれど)だろう。さらにいえば、本当に毎日毎日書かれた日記のようなものが求められているのかもしれない。残念ながら、おれは日記と銘打ったブログを書きながらも、その根気はまったくなかった。

 

しかし、いつか、振り返る日々がくるのか。そのいつかは、いつなのか。いったい何がどうなったら「いつ」になるのか。そこのところは不透明だ。まだ、ほとんどの人々はマスクをして外を歩いている。