漫画家・鳥山明さん(68)急逝 3月1日に急性硬膜下血腫のため『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』名作うみだす【コメント全文】(めざましmedia) - Yahoo!ニュース
『ドラゴンボール』『Dr.スランプ』などの名作を生み出してきた漫画家の鳥山明さんが2024年3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことが分かりました。68歳でした。
昼休み、弁当を食べ終えて、Yahoo!のトップページを見て、「ええっ!」と声を出してしまった。鳥山明の訃報だ。
このごろ、映画『SAND LAND』絡みの記事で名前を見て、まだまだやる気なんだろうな、と思っていた。とはいえ、68歳というイメージもなかった。
週刊少年ジャンプ黄金時代。そういうものがあったとしたら、その黄金の中の黄金は間違いなく『ドラゴンボール』だった。おれはそのころ小学校高学年だった。ナメック星にいたと思う。本当に月曜日が来るのが楽しみだった。漫画といえば、なによりも『ドラゴンボール』だった。そういう時期が確かにあった。
ゲームといえば『ドラゴンクエスト』という時期もあった。『ドラクエ』も鳥山明デザインでなかったらどうなっていたか? わからない。
『SAND LAND』絡みの記事についたヤフコメで読んだ話なので真偽は知らないが、鳥嶋和彦が「当時違う編集部にいたので自分にはできなかったが、適切な時期に『ドラゴンボール』を終わらせられたら、鳥山明はあと二、三本長編を描けた」とどこかで発言していたという。あくまで匿名の書き込みの又聞きみたいなものだから、よくわからない。
が、ちょっと検索したらこちらの記事が引っかかった。
「『ドラゴンボール』は、フリーザ編で終われていれば、みっつめも描けたんじゃないかな……」 - いつか電池がきれるまで
鳥嶋さんが、『ドラゴンボール』について、「フリーザ編で終われていれば、みっつめ(の鳥山明先生のヒット作)も描けたんじゃないかな……)」と仰っていたのがとても印象的でした。
やはりそのようなことを言っていたのだ。たしかに、そうなのだろう。『ドラゴンボール』は急速に失速してしまった印象はあった。ドラゴンボールのなかにも黄金時代とそうでない時代もある。とはいえ、「そうでない時代」であっても歴代漫画のなかでもトップクラスにおもしろかったに違いない。
そういえば、『ドラゴンボール』全盛期(おれのなかではナメック星あたりになる)に、父親と話したことを思い出す。父は、「わしは『Dr.スランプ』や、ブルマとかと旅をしている時期の『ドラゴンボール』のほうが好きだった」と言った。
たしかに、我が家には『Dr.スランプ』も全巻あった。繰り返し読んだ漫画の一つだ。なるほど、父親の言わんとすることもわかる。そう思った。しかし、この毎週の、言い方は悪いが麻薬のような面白さの前には……。
もしも、鳥山明の三つ目があったとしたら。それはどんな作品になったのだろう。バトル漫画としての『ドラゴンボール』みたいなものにはならなかったか。
『SAND LAND』はどうなのか? これについては記憶が薄い。「鳥山明の新作!」という期待で読んだが、なにかピンとこなかった気はする。なので、映画も見ていない。
というわけで、おれのなかの鳥山明は、まずバトル漫画として絶頂にあった『ドラゴンボール』。独特のギャグの世界があった『Dr.スランプ』。そして、メカのセンスが異常に素晴らしいデザイナーとしての一面。そういうことになる。
「ドラゴンボールが適切な時期に終わっていたら?」という問いは今後も残るだろう。でも、やめさせられないよな、という思いもわかる。ただ商業的な意味だけでなく、『ドラゴンボール』の続きを読みたい、という思いもあったはずだ。
その思いは数々のオリジナル映画に引き継がれたのだろう。残念ながら、おれはそちらの方もまったく知らない。どれだけ鳥山明が関わっていたとしても、やはりおれがあの頃読んだ『ドラゴンボール』ではないのだから、という気がしてしまう。
おれには好きな漫画、偏愛する漫画はいくつもあるが、世間と一緒になって最大風速で夢中になったのは、あの頃の『ドラゴンボール』だった。あの頃の『ドラゴンボール』がいちばんだった、という思いはある。
そういう思いをとりあえず書き残しておきたい。
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おれは高橋源一郎を日本人ナンバーワンに好きな小説家と思っているが、子どものころに読んだ『ペンギン村に陽は落ちて』は衝撃的だった。小説って、勝手に漫画のキャラ使って、こんな自由になんか書いてもいいのかと思った。おれのなかの『Dr.スランプ』の記憶のいくらかはこの作品の成分が混じっている。あ、許可とっていたかもしれないので、「勝手に書いた」のかはわからんか。