おう、そこの、そこの若いの、若くない? どうでもいい、まあちょっとな、おれの話聞けや、うん、悪いこた言わんさかい、人生勉強っちゅうもんや、お兄ちゃん、いや、お姉ちゃんか? どっちでもええわ、まあ、ほら一杯、とりあえず、亀寿の明りXIIIでも飲もうな、うん、よし、ええわ、それでええ。
ほんでな、おっさん、もう、見ての通りや、なーんも隠すこともあらへん、人生の落伍者、東の人も西の人も、北国のじいさんも、南国の姉ちゃんも、よーく見ぃな、どこにも成功がない、勝利がない、安寧がない、ないない尽くしで……なんやったっけ、もうええ、おれの話聞いてくれや。五分だけでもええ。黒白波、一杯どうや。しかし、黒白波って、黒か白かわからんて、灰色の酒か思うたわ。まあええ、もう一杯、な。寒うかったらお湯割り用意するさかいな。
まあ、おっさんは負け組や。負けるべくして負けた負け組なんや。一点の曇りもない、ピッカピカの負け組一年生や。心は明鏡の台の如しや。塵埃ひとつあらへん。なんや、そんなら、本来無一物いうてひっくり返したらお悟りの一個でも出てくる思うても間違いで、ダンゴムシでも出て来るだけや、ああ、だからひっくり返したらあかん、せっかくのホセ・クエルボはんの、レポサドが胃から出てまう。
ほんでな、ともかくおっさんはもう、このおっさんに申し訳ない思うんよ。なんや、嘘屋と思うならそれでもええが、わいかて都の西北、いや、そっちは全部落ちたんやった、なんや、低能未熟大学に現役合格するくらいの、なんかの取り柄はあったんや、たぶんそうや、それが学力の上位何%かしらんけどなあ、まあみんなようやりおった言いおって、そこそこの人生は送れるんじゃあないかって思うてな。
もう、そりゃあ勘違いもはなはだしかった。わし、算数できへんし、なんや金は大好きやけど、金を稼ぐ方法知らんかった。金銭、機械論、代数、現代文明の三大怪獣、完璧なまでの類似って、シモーヌ姐さん、シモーヌ・ヴェイユの姐さんも言うとったで。わしは怪獣にはよう勝たれへん。怪獣にもなられへん。蒲田くんに潰されて人生アウトや。金は元からあるもの、おれのもの、そうでなかったら、……あとは地獄や。そんな人間に現代社会はきっつーところや。せやかて、ここまで堕ちることもなかなかできへんやろ。
そいでもうなあ、毎晩、毎晩、わしは枕を濡らして生きとんのや。なんや、わしはわしに申し訳ないことしてしもうたなあと。わしはわしにもう少しばかりましな人生送らせることできたんちゃうか、そう思えてなあ。
けど、不思議なことやあらしまへんか。わしはわしなのに、わしがわしを憐れむ、そのわしはどっちのわしやねん。人は一人で泣くもんやないのか。赤ん坊は二心なく泣くんちゃうか。ならば、ここには、わし以外のわしちゅうんが想定されるんちゃうか。あるいは、作り出そうとしとるんちゃうか。離人症なんてたいそうなもんじゃああらんけど、なんや心の働きが、作為的か無作為的かわからんけど、自分を客観視する自分というものを作り出そうとしてはいないだろうか。
その妄想的な発想、仮にこの現実世界に置かれた血肉を持った自分Aに対して、それを他人事のようにして眺める自分Bというものが生まれてしまう。それは不幸ゆえに生まれてしまうものなのかどうか。たとえば、金に困らず、家族や友人、さらには健康に恵まれた人生を送っているような人間がいたとして、それは自分Bを作り出して、その幸福を客観視してさらなる幸せを感じるのだろうか。私にはそういった境遇に恵まれたことがないから、その倍増する幸福というものがあったとしても、生涯無縁であろう。
ただ、本来は不二のものであろうと私は想像する。それは揺るぎない自分∞とでも呼べるものに違いない。自分∞は人に対して優れているだの劣っているだの、そのようなものすべてを内包し、また同時に反射している。インドラ網の宝珠がそれである。そこで自分∞は天上天下唯我独尊であると同時に、草木成仏に相容れ合う。ゆえに、それは不死であり、また不生であるともいえる。しかして人間、その境地に達することなどとうていかなわないと、同時に信ずる。ゆえに私は絶対他力におすがりする、ということになる。面倒なことはすべて弥陀の発心によって救われる。第十八願。そして私はようやくくつろいで、五十六億七千万年の仮寝につくことができる。さあ、心を落ち着かせよう、だれかラガヴーリンを注いでおくれ。チェイサーはゲロルシュタイナーでよい。
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重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
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