ホースニュース馬の休刊

 朝、辻三蔵さんのブログを見て衝撃。即座に思い浮かんだのは、昨日の「みんなの競馬」の一コマ。井崎脩五郎が手元の「馬」紙をめくり、画面に紙面が映ったのだ。それを見て、「フジテレビも"競馬エイトにしてください"とは言わないのだな」などと、暢気なことを思ったものだが……。
 ホースニュース馬と俺。俺は「馬」をほとんど買ったことはないと思う。しかし、一度だけ電話をしたことがある。大学の競馬サークル、講演会のような企画で、井崎さんに出演を頼む役回りになったためだった。井崎さんに電話を回していただいて、「その日は岩手めんこいテレビで仕事があるから」と、断られてしまったのだった。今思えば、いきなり電話して失礼な話。若気の至りだった。

 今、競馬専門紙を取り巻く環境は厳しいのだろう。馬インフルエンザのさい、辻さんが倒産の覚悟を書いていたことを思い出した。俺のように吹けば飛ぶような零細企業の人間にとって、まったく他人事ではない二文字。すぐそこにある二文字。それだけにゾッとした思いをしたからだ。しかし一方で、コンビニやキヨスク、どこにでもある競馬専門紙がなくなるというイメージは……。競馬の一部が欠けるのは、自分の競馬体の一部がもがれるような思いがする。
 しかし、この俺は競馬専門紙を買い支えていないのだから、大きなことは何も言えない。400円の出費。400円くらい、馬券にしたらあっという間に溶けるでしょう。しかし、ためらって、特別なときにしか手が出ない。それが実情だ。十年も前の、1馬に清水成駿がいて、世間の景気も良くて、俺も無責任でお気楽だったころなら違う。しかし、今はなかなか手が出ないのだ。それが現実だ。そして俺の景気感は、世間の地合とあまり差はないだろう。でも、俺が東スポを買うとき、他に並ぶ専門紙にうしろめたさを感じていることは、まぎれもなく本当だ。
 とはいえ、東スポにあって専門紙に無いところがあるのもまた事実。専門紙には少し言葉が足りないように思える。文章だ。たとえば、東スポの「ここが馬券の急所」などは、レースを俯瞰して検討するプロセスを見せてくれるようでいい。午前中のレースについても、情報量は足りない分、出馬投票に関するあれこれなどを読ませる。ほか、個人予想枠なども。もちろん、専門紙にだってあるが、その点ではエンターテインメント紙たる東スポは強い。俺のように、詳しい調教過程や長い馬柱から馬券につなげる能力がない人間(その反動か、血統と前二走着順だけで馬券を買うようになってしまったが)には、言葉になびく。惜しいと思うのは、専門紙の中の人たちの文をネットでいろいろと読めるようになって、それが魅力的なことだ。
 もちろん、競馬をめぐるスタイルの変遷もあるだろう。全体のファンが減っているのかもしれない。スポーツ紙の競馬欄が充実してきたというのもあるだろう。あるいは、ウインズや競馬場に出ず、家ですべてを済ましてしまうという馬券ライフ。俺はパソコンを持っていないし、ケータイのみで情報取得と購入のすべてをまかなうのは無理だ。それに今のところ「紙に赤ペン」より利便性に優れる競馬メディアはないように思える。とはいえ、成績にせよ、血統にせよ、より詳しい情報を得られるのはネット。「お前に金を使わす奴は大統領でも敵だと思え!」をモットーとする(こんなんだから……。しかし、そうでなくては貧乏人生きていけない)俺ですら、ケータイ版JRA-VANに金を落としている。よくわからないが、インターネットの、PCの方のデータに関する有料サービスなどを使えば、それはもうすごいものでしょう。
 しかし、感傷で物を言えば、やはりずらりと並んだ白い紙の競馬新聞、それこそが競馬の特別な感じ、お祭りの感じだと思う。ともすれば、これが新しい、悪い流れの始まりやもしれん。市場の流れは止められない。しかし、止まってほしい。金も使えぬ俺が言うのも身勝手だ。それは承知だ。でも、痛切な感傷で物を言ってそう言うのだ。自分の好きな巨大な世界が沈んでいくとき、そうでしかいられないから、せめて言うのだ。いや、せめて自分の愛するダービーニュースを買う量くらいは増やす。そして惜別、ホースニュース馬
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  • 朝見たときは「倒産」となっていたけど、「休刊」に書き換わっている。事態としては変わらないと思うが……。
  • http://www.tangenozange.com/item/560 ……こ、これは(正直、笑ってしまった)。