そんなに風評、風評とばかり言ってていいのかとかいう

 最近のワイドショーやらニュースやらでは、被災地や原発その場の話ばかりでなく、大なり小なり離れたところの観光地の惨状をよく採り上げるようになった。悪くない。悪くないどころかいいことだろう。観光産業というのは、ある土地にとっては根幹みたいなもので、多くの雇用を生み出しているわけだし、だいたいこの日本とかいう国も観光立国とかいって、観光で食ってくしかねえだろみたいな論調もあったわけだし。
 でも、その際にテレビが「風評」、「風評」言うところには、どうにもちょっとだけ引っかかるところがある。
wikipedia:風評被害

風評被害(ふうひょうひがい)とは、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること。災害、事故による直接の被害や顧客の危機回避のための判断は風評被害には該当しない。

 まあ、ちょっとこのWikipediaの記述は踏み込みすぎの感もある(辞書的には「世間であれこれ取りざたすること。また、その内容。うわさ。大辞泉)が、「災害、事故による直接の被害や顧客の危機回避のための判断は風評被害には該当しない」というところと、根も葉もない話の境目みたいなもの、グレーゾーンみたいなもんがあって、たとえば関東以北の観光地へ行くことを回避することが、「危機回避」にあたらないかといえば、やっぱりあたらんとは言えないと思う。いちいちソースをひくまでもないだろうが、原発の問題はいぜんくすぶり続けているのは事実だし、大きな余震を懸念する地震学者の声もある。それに、お上や東電の発表がどこまで信頼に値するのかという点で、疑問がないとも言えないだろう。どっかに観光に行って、大きめの地震に遭って相当の距離、たとえば東北から関西まで帰れなくなる、なんてのは、けっこうたいへんだ。

でも、だから、あえてリスクを

 それじゃあ、やっぱり今そっちの方にでかけたり、どっか遊びに遠出するのはやばいし、家に引きこもってるのが正しいのだろうか。いや、正しいか正しくないかなんて曖昧で大雑把なことなんてこの世にはないし、元から外に出たくない、出不精の、あるいは金が無くて一泊旅行すらろくにしない人間だっているし(俺もだが)、まあそんなのが正しいとか正しくないとかいうのは正しくない。
 ええと、じゃあ、なんというのだろう、たとえば今、「観光地にお客さんがいなくて困っているから、みんなで遊びに出かけましょう」って呼びかけをするとして、そこが関東以北の被災地と遠からずの、ここんところ余震であるていど揺れてるような場所を勧めるならば、そこで「風評被害だから安心!」ではなく、「あえて少しくらいのリスクをとってでも行ったらいいんじゃねえの?」なんじゃねえかって。
 え、リスク? 思われる人もいるだろうし、みんなリスクは嫌いだし、ゼロリスクを信じたい。でも、考えてみろ、朝起きて外に出るのもリスクだし、寝たままでいるのもリスクだ。見返りのあるなにかを求めるならば、その分いくらかの賭け金は晒さなきゃいけねえし、そうじゃなきゃリターンは得られない。めいめい、それぞれのオッズを見て、勝機ありと判断して賭ける、うまく行けば配当を得られる、いかなければ失う、この人間世界はそれだけでできている。
 ギャンブルはそれがものすごく可視化されているだけで、たとえば先払いの「なか卯」で先に金を入れて食券を買うが、牛丼が出てくる、それだけのことでも、「ひょっとしたら牛丼が出てこない」可能性もある。もちろん、そんなことはほぼありえない。ただ、それは賭けがローリスク過ぎて見えないだけだ。貨幣とかいうものの価値や、信号機のふるまいとそれに対するそれぞれの人間のふるまい、そういうものに賭けているだけだ。ノーリスクではない。
 というわけで、そんな風にこの世を見ている人間からすると、余震の話や原発の話がある一方で、「風評」とばかり言えないのが現状じゃねえのかと。でも、それでも、あえてリスクを取ろうぜと、そういう方が真っ当なんじゃねえのかって、そんな風に感じるのだ。
 で、それじゃあハイリスクに見合うハイリターンってあんの? となると、それは単に観光する以外に、場所によっては被災地方面の支援になるという義侠心の満足でもいい(ものすごく小さいが、俺がここのところ茨城のチンゲン菜とかピーマンばっかり食ってるのはそのあたりもある。もう一つには安いというのがあるが……。しかし、チンゲン菜花のおひたしのマヨネーズ和えはマジ美味いよ)し、本来の「情けは人のためならず」的な大きなサイクルのなかでのリターンでもいい。あるいは、「人のいない観光地ってどんな雰囲気?」という興味本位でもいいだろうし、いつもは予約が取れないところに泊まれたり、食べられない稀少品を食えるとか、そんなんでもいいだろう。今は、宿や観光組合が、料金の一部を義捐金にあてるなんて取り組みもあるし、それもリターンのうちだ。
 
 ……と、こんな考えがどれだけの人間に共有されるかわからん。ただ、たとえば外国からの観光客なんてもんを想像するに、そりゃ九州の方とかは風評と言っていいかもしれないが、やはりなにかそこらへん、地震とかにしてもやっぱり頻発するし、「事実無根の風評です」とは言い切れないところがある。言い切れないけど、それでもまあ、これこれこんくらいの危険はあるけど、たとえばお前の国で殺人に遭う確率よりマシだしとか、そういう失礼な比較はいかんとしても、なにかしら、その、リスク前提でもよかったら来てくれないかって、そんなんがいいんじゃねえかって、こう、侠気や粋みたいなところに訴えかけるみてえな。いや、あるのかそんなん。
 
 ……などと長々と書いておいて、あんまりしっくりきてないところがある。客観的なリスク評価みたいなものがあるならあるだろうし、その観点からきっぱりと線引きできて「ここからは安心です、ここでなんか怖がるのはマジ風評」みたいな基準みたいのがありうるかもしれんし、もしそうなら「リスク込みですけど」というのは後ろ弾の迷惑に他ならんしな。あー。まあいいや。とりあえず。

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