おれは毎日のように乗っている小径車と、前輪ブレーキとペダルを取り外したまま放置してあるクロスバイクと、脱いだズボンをひっかけたり、シャワーを浴びるときに眼鏡をひっかけておくためのフルカーボンのロードバイクを持っている。そのなかの、毎日のように乗っている小径車のタイヤが、交換時期の一歩向こうに行きかけていたところ、Wiggleから価格使用無制限の6400円のクーポンが贈られたので、おれはありがたくタイヤを買った。
通販の送り先はすべて会社にしてあって、タイヤと、ついでに買った新しいサドルも会社に届いた。おれは土曜日出社ついでにタイヤの交換をしようとして、そうした。しかし、会社のママチャリ用の空気入れがぶっ壊れていて、空気が入らない。おれはしかたなく、日曜日の真っ昼間からケージ付きの英仏両対応空気入れを片手に、徒歩で会社に来ることになった。9月に入ったというのに、太陽はアホみたいに照りつけていた。
プリキュアとポリス
信号待ちをしているときのことだ。おれはフロアポンプを地面に置いてぼんやり信号が変わるのを待っていた。横に、若い母親と小学校低学年くらいのガキがいた。仮留め用テープで固定した空気入れの口が、ちょうどガキの耳の位置にあった。おれは空気入れのハンドルをそっと引きあげると、手をパッと離した。重力でハンドルがスーッと下がってって、フシューって音立てながら口金から空気が出た。ほんの出来心だった。みごとに空気がガキの耳を刺激して、「ふひゃあ」みたいな声を出した。「うひゃはぁ」だったかもしれない。そしたら、その若いママさんが「キャー!」って言ったんだ。たしかに「キャー!」だった。それで、お巡りが呼ばれて、おれは訊問されるはめになった。「この人、変質者です! この子に性的ないたずらをしたんです!」って具合だ。
名前や住所をきかれて、そして最後に、「で、プリキュアは見たの?」とか言いやがる。「いや、見てないです」っておれは言ったんだ。うそじゃなかった。おれが見た『スマイルプリキュア』は海岸でお好み焼きとかき氷で張り合う回までだった。今のところ。だから、「おれが今朝見たのは『うぽって』の最終話と『エウレカセブンAO』と『じょしらく』の最新回です。プリキュアなんか見てないですよ、お巡りさん」って言ったんだ。したら、お巡りが若い母親のほう向いて「奥さん、どうします? プリキュア見てないって言ってます」って言うの。んで、その若い母親も、「あら、プリキュア見てないんですか」って、さっきまで変質者見るみたいな目つきちょっと変えたんだ。おれは、これはチャンスだと思って。「いやね、奥さん、たまたまなんですよ。たまたま空気入れを置くときにハンドルがひっかかって、空気が出ちゃったんだ。そちらのガ……子供さんにいたずらしようなんて気持ち、これっぽっちもなかったんですよ。それに、プリキュア見てないですから」って言ったったの。えらく紳士的にさ。したら、「まあ、勘違いですみませんね、プリキュア見てないんですものね」なんて逆に謝られたりして、まったくまあ、こちらもうっかりしていましたってなって、万事解決って寸法だった。ところで、なんでプリキュアが問題なんだか、おれにはまったくわかんなかったな。
空気圧とマダム
アホみたいに照りつける太陽の下をおれは自転車のフロアポンプ片手にずったらずったら歩いてた。したら、電動アシスト付きママチャリとめてしゃがみ込んで、タイヤのあたりを気にしてる女がいたんだ。三十路ちょっと過ぎたくらいの女で、日焼けしないようにでかい帽子かぶってたけど、なにより目立っていたのはでかいおっぱいだった。そのわりに腰はくびれてて、ようするに抜群にいい女だった。おれは「どうしましたか? 自転車でお困りで……?」って声をかけたんだ。なにせおれは自転車の修理道具一式とフロアポンプまで持ってんだ、こんなチャンスってないだろ、なかなか。したら、フロアポンプまで持ってる男を見て一瞬警戒の目を向けたんだけど、おれは根っからの自転車好きで、自転車で困ってる人を助けたくてしかたないみたいな顔をしたんだな、たとえ相手が寿町のジジイであっても、そんな顔をする人です、みたいな。
で、聞いてみたら、なんか乗っててタイヤがガタガタいうとかなんとか言ってて、どうも前輪が軽くパンクしてるみたいだった。おれは「前輪のタイヤが悪いみたいですね、応急処置として、ちょっと空気入れたらちょっとは保つと思いますけど。せっかくだから修理してさしあげたいんですが、ここは人通りも多いので迷惑になってしまいますね……」とかなんとかいったら、「うちはすぐそこですから、よかったらお助けいただけません?」とか言うんだね。それでおれは、路上でフロアポンプのハンドルをピストンさせたんだけど、頭ん中まったくべつのピストンでいっぱいで、タイヤと一緒にてめえのちんぽこの方も充填してった。
それで、案内された家ってのが山手の本通りんなかでもそうとうに立派な、眼下にみなとみらいまで一望できるような一軒家だった。おれはちょっと気後れしたけど、入ってって、「とりあえず冷えた麦茶でも一杯どうぞ」って言われて、自転車ほっぽって嫌味じゃないくらいにクーラーの効いた、見たこともねえような感じのいい部屋に招き入れられた。
そしたら、あとはやることをやるだけだった。旦那がインポテンツだとかなんだとか言ってて、べつにそんなことはどうでもよかった。女の背中に小さな赤い雀の刺青があったけど、まあそんなもんだろうと思った。それで、おれは一生懸命クンニしたった。おれのクンニには定評があって、カセットスプロケットの隙間を掃除するみたいにすごく丁寧だったし、女の体を触るのはどこだってプーリーを手入れするみたいに扱いもやさしかった。「カメラが趣味の男を彼氏にするのがいいなんて大嘘ですよ、奥さん! 自転車趣味の男が一番なんだ!」 それでいよいよ、これ以上はパンクしますってなったちんぽこブチ込む段になって、ドアが開いて旦那が登場したというわけ。ちょっと歳はいってたけど、ひいき目に見てもヤクザだったし、立体視用のカメラで撮影したのを3D眼鏡で見たら飛び出すヤクザみたいな感じだった。
そしたら、その飛び出すヤクザときたら、「おおぅ、てめえ、コノヤロ!」とか言いながら背広脱いでシャツも脱いだ。なんかデカイ鯉の刺青してあって、「ああ、僕、カープファンなんですよ」とか言おうと思ったけど、そういうシチュエーションじゃないような気がしたのやめた。したら、飛び出すヤクザは下まで脱ぎだして、真っ裸になっちまった。おれはわけがわからなかった。おれのちんぽこはまだ空気圧いっぱいだったし、女はウンともスンともいわず、なんか黙ってやがる。それで、「うぉう!」とか唸って、ヤクザが立体視じゃなくてマジで飛び出してきて、フロアポンプでぶん殴ってやろうとか思う間もなくおれを突き飛ばすと、女にむしゃぶりつきはじめた。おれは逃げ出す間合いを見計らうなんてわけもなく、呆然とちんぽこおっ立てたままその様子をぽかーんって見てた。
そんで、気づいたんだけど、やっぱりヤクザのおっさんのちんぽこ飛び出さねえの。ああ、インポテンツってのは、こういことかって思って、なんかおれ、突発的にさ、フロアポンプの金口をおっさんの尿道にセットしてハンドル上下してやった。したら、20psiくらいで少しふくらんできたみたいになって、40psiでちんぽこパンパンになって、60psiまで入れたら金玉まで充填しちゃった。したら、女が「あんた!」とか言って、ヤクザのおっさんも「おお!」とか言って、ズコバコやりはじめて、それはもうすごいファックだったし、おれにはうまく表現できないくらいだった。これを立体視用の撮影して映画館で流したら、3人くらい死ぬんじゃないかと思うくらいだった。
おれは邪魔しないようこっそり部屋を抜け出して外に出た。外はアホみたいに暑くて、太陽も照りつけてた。射精しそこねたおれのちんぽこが何か言いたそうだったけど、無視した。車寄せにはでかいぞろ目のナンバーのベンツが駐まってた。マダムの電動アシスト式自転車の横に、100円ショップのパンク修理セットを置くと、またずったらずったらフロアポンプ片手に歩き始めた。
旅と自転車
おれはフロアポンプを触ったらひどく熱くなってるだろうコンクリートの上に置いて、信号が変わるのを待ってた。したら、横の車道、スーッとロードバイクが来て、赤信号で止まったんだ。小さな交差点だったけど、べつにどっち向いても車もバイクも自転車も人も馬も来る気配なんてなかった。こいつはいい自転車乗りだと思った。それで、ちょっと声かけた。「今日も暑いですね? よかったら空気入れますか?」って。したらやっこさん、ばっちりローディっぽい上下だったけど、わりと大きめな荷物背負ってたんだけど、「なんでそんなの持ち歩いてんですか? でも、ちょっと貸してもらいますよ」って、歩道にきた。おれは炎天下でロードバイクの空気圧送り込むのなんてごめんだったから、男にフロアポンプを渡した。やっこさん、手順通りにちょっとバルブを緩めて、少し空気を押し出して、それでハンドルを押しはじめた。おれなんかよりずっと手慣れていた。で、ゲージにセットしてあった目安の印を見て「やっぱりあなたもロード乗り?」なんてきいてきて、自転車談義みたいになった。とはいえ、おれはあまりロードバイクのこととか知らないし、だいいち、やっこさんの高そうな自転車のフレームのブランドもわからなかった。で、「それ、どこの自転車ですか? やっぱ高いんですか?」っておれきいたら、やっこさん笑いながら「いや、おれも知らねえんだよ。どこんだろうな」とか言うわけ。「いや、パクってきたからさ、わかんねーんだわ。でもこれ、わりと乗り心地いいし、悪くないもんだから、たぶん売れると思うけどな。そうだ、あんた、ケータイで調べてみてくんない?」だってさ。
それで、空気入れ終わったけど、二人して地べたにしゃがんじゃって、会話が続いた。やっこさん、えらい遠いところから、自転車を盗んじゃ走って、金が無くなったら売って、それでまた自転車を盗んでってのを繰り返して、ここまで来たんだってさ。「なんで関内なわけ?」ってきいたら、「いや、まだ途中だし」って言うの。「どこ行くの?」ってきいたら、「わかんねえわ」ってさ。それで、あのメーカーのフレームはいいだの、長距離走るときのポジションだとか、盗品を売るときのコツだとか、ごついロックぶった切るための工具の使い方とか、いろんな話をしてくれんの。
「そんな見ず知らずのおれに話しちゃっていいの?」ってきいたら、「空気のお礼だ」ってさ。「おれんちに、乗ってないコルナゴあんだけど、よかったら盗ってく?」って言ったら、「部屋に入って盗むってのはエレガントじゃねえな」って言って、「まあ、今日の話、いつか役立てなよ」とか言って、颯爽と去ってったね。おれはあんなに颯爽って言葉が似合うのを見たことなくて、しばらく颯爽っぷりを目に焼きつけようと、やっこさんの自転車がずっとずっと向こうに遠ざかっていって、点になって、やがて消えてしまうまで、見ていたんだ。ずっとずっと向こう、点になって、消えてしまうまで。
エピローグ
おれはようやっとこさ会社につくと、前輪も後輪もはずされた情けない姿のルイガノMV1にシュワルベのタイヤをつけた。ついでにサドルも変えて、ちょっとは気分一新と言いたいところだが、タイヤが白から黒に変わって少し鈍重なイメージになってしまった。選択肢がなかったのだから仕方ない。せめてサドル、ACEの白いのをこれに、これの新しいブラウンのを乗ってないR-2に、R-2のタイオガ・スパイダー・ツインテールをACEに。R-2はだれかにくれてしまおうか……。______________________
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