どこか哀しい衣笠丼

 とくに理由あってのことでもないが、ここのところ牛丼屋で飯を食っていなかった。たまたまその機会ができたので、おれは「なか卯」に入って、衣笠丼なるものを食った。
wikipedia:衣笠丼

衣笠丼(きぬがさどん)とは、甘辛く炊いた油揚げと九条葱を卵で綴じ、ご飯に乗せた丼である。京都発祥のご当地丼と呼ばれるが、中身は大阪などで食されている狭義のきつね丼と同じであり、厳密には京都固有の呼び名である。

 「なか卯」的に言えば、親子丼の鶏肉を油揚げにダウングレードしたものといっていいだろう。おれは衣笠丼を食いつつ、どこか腑に落ちないものを感じていた。物足りなさというべきか、なにかだまされているような気にすらなった。だまされてなんかはいないのだが、胃だかなにかだかが「納得しないよ」と言うのだ。食べ終えてなお、おれは持って行き場のない空腹感を覚えつつ「なか卯」をあとにした。
 ウィキペディアで「衣笠丼」を調べたのはそのあとである。「中身は大阪などで食されている狭義のきつね丼と同じ」とある。「きつね丼」。これにはひとつ思い出がある。

 ……って、たぶん、鎌倉にいたころ、一回しか行った覚えがないんだけど。おれは小学生だったか、中学生だったか、なんだかわからんが、一家四人で行った。だいたいロイホすかいらーく、あるいはみのり亭とかそのあたりのところ、なぜかその日はそば屋だった。平日か休日かも覚えていないけど、わりと遅めの時間、晩御飯だったとは思う。
 で、店のおばあさんが注文を取りに来て、皆なにかを頼み、おれも何かを頼んだ。が、その「何か」は今日はもう品切れだ、という。そして、おばあさんは次にこう言った、「きつね丼ならありますよ」と。
 「……きつね丼?」という空気が流れるわが一家。そして、なぜかわからぬが「そりゃおまえ謎のきつね丼いっとくべきだろ」的な無言の空気。それじゃあ行くしかないだろと思うおれ。「じゃあ、きつね丼で」。おばあさんは注文をメモして店の奥へ。
 と、しばらくするとその息子さんだろうか、店主が出てきて、「すみません、きつね丼というものはないのです」と言うではないか。なんだ、やっぱりないのか! おれは結局、またべつの何かを注文した。その「何か」もまったく覚えていないのは言うまでもない。

ラムレーズンと幻のきつね丼 - 関内関外日記(跡地)

 この記事を書いたとき、おれは「きつね丼」なるものがあるとは露とも思わなかった。「きつね丼」、存在したのだ。

関西では、類似した丼物に若竹丼(筍を卵で綴じる)、ハイカラ丼(揚げ玉を綴じる)、衣笠丼(油揚げを綴じる)などがある。

 「きつね丼」から転送されるのが「木の葉丼」なるページだ。

安価な食材を使用しており簡単に作れるので、庶民的な家庭料理として親しまれ、関西地方では大衆食堂などで定番のメニューとなっている。

衣笠丼は京都では定番である。神戸や大阪などではきつね丼として供される。 中京圏では「信太(しのだ)丼」と呼ばれる。その他の地域では、名前自体見られる事が少ない。

 ふむ。これを考慮すると、あのときのそば屋のばあさんは関西地方の出で、「ありあわせの材料を卵とじした丼なら出せますよ」という提案だったのやもしれん。いずれにせよ、おれはあのとき「きつね丼」と遭遇することはなかったわけだが。
 まあ、あれから二十数年経ってようやくおれは「きつね丼」を食えた、ともいえるだろうか。きつねに化かされたから木の葉なのかわからぬが、肉のかわりになにかだまされたような丼を。むろん、関東育ちの「きつね丼」知らずの味覚と胃が牛丼チェーン店で一食して抱いた感想にはすぎないのだが。
 肉、か。ぜいたくを言っている。白米の上になんらかの肉がのっているようななにかを安価で食えていた方がおかしいかったのかもしらない。パンに肉を挟んだなにかについても同じかもしれない。今後この世はきちんとした白米にちゃんとした肉を食える人間と、そうでない人間に分かれていくことだろう。いや、もう分かれているのだろう。そしておれがもしも長く生きることがあれば、卵でとじられていることすら畏れ多い思いをするようになるに違いない。