おれ。

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おれはおれの見た、触れた、聴いた、感じた世界をだれかに伝えたがっている。それは決して美しいもの、優れたもの、ためになるものではない。いかにもどうしようもないことが大半だ。それでもおれはおれの世界をだれかに共有してもらいたくてしかたがない。

でも、どうやって? おれにはそこがよくわからない。いま、こうやっているように文章がいいのか、それとも写真がいいのか。細密画か? ひょっとしたら音楽がいいのかもしれない。映画にしてみてもいいかもしれない。ただひたすらに、催眠術のように語りかけるのがいいのかもしれない。おれにはそこがわからない。この歳になってわからない。

おれはおれの世界を表現したがっている。そして、そこには共感があってしかるべきだという傲慢がある。おれの父親は雑誌の編集長をやっていたというが、「自分が面白いと思うことは、すべての人間にそうであるという確信がなくてはならない」と言っていた。おれは不遜にもそう考えるところがある。人は人。わかっていても、それでも、おれが面白いと思うことは、他人にとってもそうに違いない、と。

だが、どうやってそれを実現させるのかがよくわからない。おれの興味、おれの関心、おれの驚き、おれの諦観、どういった経路であなたにつなげようか。おれが有能な日本語ラッパーだったら、ヴァイナルと細い管であなたにつなげよう。だが、おれは有能な日本語ラッパーではない。だからおれは夜の海で泣いている。

ああ、くだらないこと、この世で下から87番目くらにくだらないことをあなたと共有したい。最先端の科学も、至高の芸術も、この上ない美味も、あまり興味はない。くだらなく人生を浪費していくおれの見た、このちっぽけでくだらない世界を共有したい。貧しい世界を伝えたい。なぜだかはわからない。でも、そう思う、そう思うんだ。けれど、その方法がわからない。まどろっこしい。でも、このブログという形式は直接的かもしれない。そうとも思う。おれはミサイルではない。おれはブロガー。そうか、おれはブロガーだったのか。もう少し、おつきあい願いたい。つきあいたいやつだけでいい。読んでるやつは死ぬ。読んでないやつも死ぬ。おれだってとうぜん死ぬ。それだけのことだ。それだけのことなんだ。