父親は壺なおしだった。そして彼も、壺なおしを仕事にしている。
出だしのこの一文からしびれる。
さらにこんな一文にもしびれる。
「非合法ってどういうこと? 非合法な壺?」
「猥褻な壺よ。戦争中に中国人がつくっていたような」
おれがしびれる理由もわかるだろう。ディックと同じ夢を見ていたのかもしれない。
それはともかく、ときは近未来、なにやら世界大戦があったらしいあとの、統制社会のディストピア。元軍人だった(この設定にとくに意味はない)壺なおし職人の話である。このSF感のなさがいい。プラスチック製品が世に溢れ、仕事のない壺なおし職人。訳者解説でも触れられているが、『フロリクス8から来た友人』の「中古タイヤの溝掘り職人」を思わせるしみったれた感じがいい(もっとも、自伝的小説『ジャック・イジドアの告白』にも同じ職業が出てきたので、実際にアメリカに存在したかもしれない、溝掘り職人)。
で、恩給で暮らしているが仕事はない。やるのはインターネットで世界中の同じような人間とやる「ゲーム」だけ。どんなゲームかというと、有名作品のタイトルをGoolgle翻訳に突っ込んで、出てきた文字列をまたGoogle翻訳に突っ込んで元に戻す。もちろん元にはもどらない。では、元のタイトルはなにか? という「ゲーム」である。本書が書かれたのは1969年である。Google翻訳はまだない。コンピュータによる翻訳すらなかったかもしれない。すべてのSF作家はプレコグかもしれない。まあ、ディックが描いてみせたのは、電話に音声入力による「誤訳」だが、だいたい同じだろう。
さらにプレコグっぷりを発揮しているのは、後半に出てくるロボット「ウィリス」だ。
「お目にかかれて、まことに光栄です」とロボットはいった。「私の胸の中央に<ウィリス>という単語がステンシルされていることにお気づきでしょうか。わたしは、その言葉で始まるようにプログラムされています。たとえば、ご自分の作業場をごらんになりたければ、『ウィリス、わたしの作業場に案内してくれ』とおっしゃってください。……
ウィリスは「ウィリス」の呼びかけがないと「違います。『ウィリス、案内してくれ』とおっしゃってください」と反抗する。いま出回り始めたAIスピーカーが反抗するかどうかしらないが、「Hey Siri」だの「OK,Google」だの言わなければ反応しない未来を見抜いているではないか。いやはや。ディックはいつの時代を生きていたのだろうか。
して、本作、どうなのか。おれとしては、「ディック入門者にもおすすめ」としたい。ディックらしさが詰まっている。なんだか冴えない世界、けれど散りばめられた博学、神学(本作品に出てくる<本>は聖書的なものであるかもしれないし、そこから人間の自由意志を問うものであるかもしれない)、長編だとときおり見せるだれ方、なにもかもP.K.ディックっぽい。おれは『ザップ・ガン』(奇しくも本書と同じ大森望が訳していた)という、ディック自身が酷評する作品から入ったが、とりあえずここからでもいいんじゃないかと。なにせ、「手綱がとれていない」というディック自身の評もあるが、アーシェラ・K・ル・グイン(R.I.P. )は気に入ったらしいしさ。
そして、本作はディックの底抜けの優しさも感じ取れる。
……以前ぼくも、地球で妙な経験をしたことがある。ほんの小さなことなんだけど。食器棚からカップをとったときのことだ。ほとんど使ったことのないカップでね。出してみると、中に一匹の蜘蛛が入っていた。蜘蛛の死骸が。食べるものがなにもなくて死んでしまった蜘蛛。たまたまカップの中に落ちて、外に出られなかったらしい。でも、この話のポイントはそこじゃない。その蜘蛛が、カップの底に巣を張っていたということなんだ。状況を考えると、せいいっぱい頑張って張った巣だと思う。…(中略)…いつも思うんだよ、あの蜘蛛は望みがないことを知っていただろうか、って。無駄だと知りながら巣を張ったんだろうか」
おそらくは、ディック自身の体験。そして、ディックの慈しみ、優しさ。おれは奇々怪々の『ヴァリス』の大きな主題は死んだ猫への悲しみだと思うような優雅で感傷的な人間ゆえに、そう思ってしまう。
そして、これがこの作品の、見解が分かれるというラストの一文にかかってくる。おれは、せめてポジティブな方として受け取りたいと思った。あなたはどう思うだろうか。そして、ここからディックに入る人にRots of ruck!
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↑Amazonプライムの『高い城の男』の映像化が楽しみ、とか書きながら観てねえや。いや、最初は観たけど、どうも長いドラマを観るという習慣ができなくて。
↑卦にも禅にも惹かれていたあたりもP.K.D.らしい。