さて、帰るか

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レイモンド・カーヴァーの詩集『ウルトラマリン』に「キャデラックと詩心」という作品がある。こんな一節がある。

なにかにつけて頭に浮かんでくる

ブコウスキーの詩の一節。

「俺たちはみんな、一九九五年型キャデラックで町を流したいんだ」

そして、こんな。

まだ作られてもいないキャデラックについて思う

ことのまぎれもなき詩心。自らを思わず反省させられる、

医者の指先。

レイモンド・カーヴァーチャールズ・ブコウスキー。カーヴァーは1938年5月25日に生まれ、1988年8月2日に死んだ。酒に溺れていたこともあった。チャールズ・ブコウスキー1920年8月16日に生まれ、1994年3月9日に死んだ。だいたい酒に溺れていた。ブコウスキーはあと一年長く生きていたら、1995年型のキャデラックを目にしていたかもしれない。1995年型のキャデラックというものがあるかどうか知らないが。

おれはカーヴァーを通じてブコウスキーを知ったわけではいし、ブコウスキーを通じてカーヴァーを知ったわけでもない。それぞれ、別の経路から入って、好きになった作家だ。その作家同士が、少なくとも片方から片方について言及している。おれの好きなもの同士が、おれの知らないところで繋がっている。これはおれの好む現象だ。『ウルトラマリン』にはルイドソダウンズ競馬場の名前も出てくるから、カーヴァーも「ブコウスキー一族」(高橋源一郎による)だったのかもしれない。

ところでおれには詩心というものがよくわからない。だから、カーヴァーもブコウスキーも詩人であることを第一としたのかもしれないが、むしろ彼らの書いた小説や散文に惹かれるところが大きい。もっとも、おれがいちばん好きな詩人である田村隆一については、散文も好きだがやはり詩がいちばんだ。母国語というものと関係あるのかもしれない。それで、「詩は原文だよな」とブコウスキーの詩集を洋書で持っているのだが、まあ読めるはずもなく。

師走はなんとやら、年末に向けて忙しくなってきた。去年はどうだった? 今年の昨年度末(というのだろうか)は? これが、覚えていない。午前0時くらいに帰るということもよくあった。だが、ここのところはどうだろうか。減ったような気がする。午前0時ごろになっても、寿町あたりは老人がずったらずったら徘徊している。おそらく午前3時くらいでもずったらずったら徘徊しているのだろう。おれもいずれずったらずったらするのだろう。

アルマイトガンダム、炊き出し並ぶの一番乗り。

アルマイトガンダム、登る朝日に涙する。

アルマイトガンダム、甘い缶チューハイは好まない。

アルマイトガンダム、空から見下ろす三千世界。

アルマイトガンダム、桃栗三年柿八年。

考えるのもやめてしまって、一人の職場は寒い。

ときおり水槽のヒーターが音を出す。

水槽の中に息づいているのは、どこか外国からやってきた水辺の植物。「なにゆえに?」とも思わず根を伸ばし、葉を茂らせる。そういうやつらなんだ。気のいいやつらは一人、また一人と倒れていって、生き残ったのはシリコンのガンダムくらい。おれは帰って酒を飲む。

 

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水と水とが出会うところ/ウルトラマリン The complete works of Raymond Carver(5)

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ブコウスキー詩集―指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け