大勲位のいない冬/はじめてのソーリダイジン

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中曽根康弘元首相が死去 | NHKニュース

「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘 元総理大臣が亡くなりました。101歳でした。

だれもが心に「はじめてのソーリダイジン」がいるのではないかと思う。物心がつき、いくらか経ち、「ここは日本という国で、政治家というものがいて、いちばん偉いっぽいのがソーリダイジンというものだ」と気づく。そのときの「ソーリダイジン」が誰だったか。

おれにとってそれは中曽根康弘だった。日本にはテンノーヘーカがいて、ソーリダイジンがいる。アメリカにはダイトーリョーがいて、それはレーガンという名前だった。ショーワの話だった。

というわけで、おれの「はじめてのソーリダイジン」はヤスだった。ロンとヤス、ヤスとロン。世界第一の大国アメリカ。その国と大げんかをして破れたが、戦後復興を果たして世界第二の国になった日本。いつも曇っていて、なにか恐ろしい政治をしているらしいソ連。それが子供であるおれの世界だった。

子供にとっては一年が長い。おれのなかで、中曽根首相の在任期間というものは、感覚的に安倍晋三の比ではない。ずっと中曽根とレーガンの時代が続くものかと錯覚するくらいだった。

その後、いろいろあった。総理大臣は代わるし、大統領も代わった。天皇陛下すら二度代わってしまった。まったくどうなってるんだ。

そして中曽根は心の大勲位になった。おれが日常で中曽根康弘のことに言及するとき、単に大勲位と言うか、中曽根大勲位と呼ぶことになっている。それがおれの決まりである。なにせ、おれの初めての総理大臣であり、永遠かとも思われた総理大臣だからだ。敬意を込めてそう呼ぶのだ。「安倍晋三のあとはいったん大勲位を首相にしてはどうか?」。

しかしまあ、おれの時間感覚を鑑みるに、「はじめてのソーリダイジン」が安倍晋三第二次政権のときに物心ついた子にとっては、それはもうそうとうに安倍晋三=総理大臣であって、それ以外のことなど想像できないのではないか。そして、おれも子供のころに自民党政権というものが永遠に続くものと思ったりしたが、二回の下野を知らぬ今の子らも、永遠の自民党政権と感じているのかもしれない。

中曽根康弘の政治がどうだったか、実のところおれはよく知らない。しかし、なにか特別な総理大臣だった。それはおれの意識の芽生えやこの社会を知る端緒にいたからだ。理屈もなにもない、そういうめぐり合わせだったにすぎない。そういう意味で、安倍晋三とめぐり合わせになったやつもいるし、そこにはやはり理屈でないなにかがあるだろう。

ところで、物心がついて、「ソーリダイジン」がいると知ったときに、ちょうど宇野宗佑が就任していたやつにとって、日本政治の根っこのようなものはどんな感じなんだろうか。あるいは、民主党政権だったやつは。

まあいい、おれにとって最初に知った内閣総理大臣中曽根康弘だった。そして、永遠の大勲位でもある。R.I.P.

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