ところで維新って保守なのかよくわからん、安倍政治がなんだったかもよくわからん

また寄稿いたしました。

 

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自分のなかで「保守主義」ってのはこんな感じかな、という話です。

これについては、以前に書いたこちらの記事を一緒にお読みいただけると、わかりやすいかと思います。

 

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どのあたりが、というと、人間の「はからい」をどこまで信じるか、信頼するかというところですね。人間の理性、知性、あるいは人間の科学知識といっていいかもしれない。ともかく、それをどこまで信じるか。信じるか、信じないかではない、と言われるかもしれないので、やはる「信頼」か「信用」、あたりが妥当でしょうか。

 

ともかく、保守はそれを信頼「しない」。人間の「はからい」には限界がある。過去、現在、未来、馬鹿。そう考える。過去の人間も不完全だから、復古主義にはならない。現在も不完全だから改善は必要と考える。未来も不完全だから理想社会の実現も信じない。

で、こっちではいきなり具体的な政治の話すんだけど、日本維新の会って、ありゃあなんだろうか。保守なの? 維新なのに? よくわかんね。よくわかんねえけど、なんか、こう一昔前の自民党的というか、二昔前かな、とにかく、保守だけど「構造改革!」ばっかり言ってた、たとえば、小泉純一郎みたいな、そういう「平成の感じ」をすごく感じる。

 

でもって、改革、改革言ってるあたりは、なんか革新右翼的というか、「はからい」を強く感じるのよな。で、どうも、そのあたりが、なんか、好きになれない。

 

 

というか、この本でも一章を割いて、当時の維新の代表である橋下徹批判が行われていた(そのせいで単行本は予定の出版社から出せなかったとか)。法も道具として、抜け穴があればかまわず突く姿勢が、というか。

 

まあいいや、だから、なんかおれは、その、「党員の質が」とかいうのもあるけど、なんか根っこのところで相容れない感じがある。……というときのおれは、どちらかというと、おれの考える保守主義のおれ、なんだろうなとも思う。

 

おれが保守主義者かどうかは自分でもわからないし、そもそも名のれるほどの知識や知能があるのかわからない。そういう傾向があるか、というところだ。あるのだろうな、と思う。親鸞の教えに感服したというわけでもないが、おれは人間の不完全性を完全性よりも信じるところがある。過去、現在、未来、馬鹿、だ。ブルーハーツの「皆殺しのメロディ」だ。

 

しかしなんだろうね、そのあとの、っていうとどのあとかというか、安倍晋三政権ってのはなんだったんだろうね。よくわからんね。こないだ内田樹はこんなことを書いていた。

 

統一教会、安倍国葬について他 - 内田樹の研究室

 さきほど「安倍系右翼」という言い方をしましたけれど、それだと思うんです。要するに「安倍系」ということなんです。彼らはうまく言葉に出来ない独特の怨念を安倍さんに託した。怨念の一つは反知性主義で、もう一つは宗主国アメリカに対する属国民としての反米感情です。知性や論理や倫理といった欧米の近代市民社会の基本になる原理が大嫌いで、アメリカも実は嫌いなのだけれど、それをうまく整合的な政治的言説にまとめることができない。

この場合の「反知性主義」は保守的な「反知性」と考えていいのだろうか。反知性主義についてはいずれなにか読んだりする。

美しい国」とかね。どれもそうです。「戦前の日本は美しかった」という安倍自身も、安倍系右翼も誰一人見たこともない体制に対する幻想的なノスタルジーが安倍体制の求心力だった。これはイデオロギーではないし、ただの懐古気分というのとも違う。もっと幻想的で、もっと生々しく、もっと混乱したものです。だから、その分始末に負えない。安倍晋三はそのカオス的な国民感情を個人として体現できた稀有の政治家でした。それは安倍晋三の「個人技」だったと思います。だから、誰かが代わりをするということはできないだろうと思います。高市早苗が「後継者」と言われていましたけれど、安倍晋三のような幾重にも屈折したものを持っていない。

これは復古主義として保守派からも否定されるべきものだろうが、これこれこういう制度を復活させるとかいうのではなく「誰一人見たこともない体制に対する幻想的なノスタルジー」ではぼんやりしているし、「イデオロギーではないし、ただの懐古気分というのとも違う」となると、なんだかわからない。

 

内田樹はそのあたりをまとてカオスとか混乱言うてて、なんも言ってないような気がしないでもないが、そう言われてみると、おれがわからないのも無理がないという感じもする。

 

ただ、安倍晋三という人にそこまで深さがあったというか、「幾重にも屈託したもの」があったのかというと、そうなのかな? という気がしないでもなく、これはもう与野党合わせてほとんどの政治家に感じることなんだけど、その場その場で都合のいい対応ばかりして、あちらこちらにいい顔して、なんか芯がなさそう、みたいな。「どんな政治家も実際に合ってみるといい人」みたいなことは言われるが、なんかそんなところにも通じるような。嫌われても頑固一徹みたいなのがいないというか。いや、国民の多くから嫌われても意に介さない二階の人とか、森や麻生のおじいさんとかいるけれどさ。

 

まあ、そのあたりの、安倍晋三評価も、時代とともに評価が定まっていくのかね。もうちょっと、カオスや混乱ではなく、なにか整理され、単純化されるかもしれない。それが歴史というものだろうし、人物評なんて持ち上げられたり、逆張りをしたりと、揺れ動くものではあるけれど。

 

あー、つうわけで、まあなんだ、なんとなくそこらへんのこと。でもって、おれが保守的だからといって、まったく与党を支持していないので。でも、野党ならここを応援するぜ! という強いものもなく。なんなら、NHK党(立花党首の思想には興味ない)から出たり、本当の無所属だったりする、個々人の独立無頼系候補のほうが、よっぽどなんか応援したくなるぜってところはある。応援したところで当選しないような人たちのほうが。