安倍よあんたは長すぎた

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安倍晋三が総理大臣を辞任する。

職場で流れているFMラジオが緊急にそう言った。慌ててYahoo!にアクセスした。たしかに、そのようだ。ちょうどそのとき職場の人たちは電話で話したり、打ち合わせをしていたりしていた。おれは早く「安倍が辞任するんだって」と言いたくてたまらななくなった。大きなニュースだと思った。

して、おれがこれから書くことは、安倍総理を支持してきた人にとって快いものではないだろうが、一方で安倍総理憎しとする人が拍手するようなものでもないだろう。

はじめに言っておけば、おれは安倍晋三の宿願である憲法改正について、安倍晋三が望む形でのそれは否定的である。いろいろの疑惑に答えたとも思えない。公文書の問題、政治の私物化の問題。外交についてうまくやったとも思えない。アメリカのトランプ大統領とは仲良くなったように見えるが、仲良くなったところでなんなんだ。ご機嫌とっただけか。経済についてはどうだろうか。おれは算数ができないのでわからないが、自分自身について言えばそれほどよくなった感もない。

……おれは「アベ憎し」だろうか。正直、そんなに憎んだりはしていない。どうにも、「アベ」憎い人たちには乗れないな、という感じがした。一方で、安倍率いる自公政権にはもちろん乗れない。

安倍政権がおれに与えたものは、政治に対する諦念だろうか。そういう面はあると思う。思う一方で、安倍政権が生まれる前に、おれが政治というものになにか期待したことがあったかと問われると、そうでもないような気がする。諦念が生まれたわけではないが、諦念は強まった。そのように感じる。

なにより感じることは、このエントリーのタイトルどおりである。安倍よあんたは長すぎた。これに尽きるといっては納得できない人もいるだろうが、一番に感じるのはそれである。歴代最長なんたらという記録があるように、数字的にも長い。そして、権力は腐敗する。組織の硬直化はよいものをもたらさない。

おれが考えるのはそこである。なぜ長く続く権力は腐敗するのか。そうでないものもあるかもしれない。しかし、やはり安倍政権は長く続くことによって、問題を引き起こし、政治や行政のいろいろなもの歪ませたように思えてならない。なぜ、人間の組織はそうなのか。あるいは、権力はそうなのか。

むろん、きちんと政治学などを学べばその答えはあるかもしれない。しかし、おれはきちんと政治学を学んだことはないし、これから学ぶことはないだろう。

実のところ、日本で内閣総理大臣がコロコロ変わるのはよくないな、と思っていた。安倍より前はそう思っていた。とはいえ、安倍政権は長すぎた。今では政権交代というものはいくらかあったほうがいいと思うし、総理大臣の交代というものもいくらかあったほうがいいと思う。短すぎて悪いということはなかったが、長すぎてよい、ということもなかった。

誰がやるにしても、だ。

「誰がやるにしても?」という声も聞こえてきそうだ。安倍晋三という人間が日本国の総理である器だったかどうか、真善美を備えていたかどうか。それについておれは「ちょっと足りなかったんじゃないか」という思いはある。一方で、それでも選挙に勝ち続け、自民党を掌握していたのだから、なんらかの力はあったのだとも思う。なんらかの力がなにかわからない。

小選挙区制が悪い、という意見もあるだろうし、そうかもしれないとも思う。自民党なら自民党が、ときの権力に従わざるをえない状況。従っていれば安穏としていられる状況。風通しが悪くなり、腐る要素はそこにある。河井夫妻の裁判など見ても、そのようにも思えるが、やはり政治学を知らぬので断言はできない。

それにしても七年数ヶ月。物心ついてから、政治家の名前というものを知るまでのあいだ、ずっと安倍首相の時代だったという人もいるだろう。政治に興味を持ち始めてからずっと安倍首相だったという人もいるだろう。その人たちにとって安倍首相というものが心の首相スタンダードになってしまったということもあるだろう。それはどうにもならないところであって、おれの心の内閣総理大臣は中曽根大勲位であり、今でもレーガンと握手している。だから、「悪夢の民主党政権」を刷り込まれている人もいるだろう。それを頭から否定することも難しいし、正しいのかわからない。おれの民主党政権についての評価は、よちよち歩きのところで3.11は酷だったな、というものである。野田首相の解散についてはいまだによくわからない。

野田佳彦首相。はるか昔のようだ。いや、はるか昔なのだ。第二次安倍内閣が発足したときに、立派におっさんだったおれが、さらに立派なおっさんになった今でもそう思う。やはり長すぎた。

長すぎたことの弊害はあった。では、今後に影響があるのか。安倍政権を強く支持していた層が、次の総理総裁に納得できるかどうかわからない。一方で、「アベ」憎しを強く抱いてきた人の思いがどこに向かうのかもわからない。新型コロナウイルス流行というこの特殊な状況下でもある。なにか、国が動くかもしれない。動かないかもしれない。できれば良いほうに動いてくれと願うしかない。おれは受け身で、流されるように生きてきた人間だし、そのようにしか生きられないので、「スキルアップして収入アップ」などということは考えられない。ただ、世間の景気がよくなって、なんとなく自分の景気がよくなれば、いや、少なくともひとりで生きていけるだけの食い扶持が得られればそれでいい。おれが政治に望むのはそれだけだ。トリクルダウンというのは、あったのか? 熱烈に支持する人には恵みがあったのか? 「少なくともお前は安倍政権下でも最低限生きてこられたではないか」と言われると、それはそうなのだが。

いずれにせよ、安倍政権は終わる。これははっきりと、終わってほしいと思う。院政よろしく安倍が実権を握りつづけるのも勘弁だ。もう議員を退いてもいいように思うが、選挙の結果を受け入れるしかないだろう。

なんなのだろうか、いくら書いてもきりがない感じがする。この報道に浮ついているのかもしれない。浮ついている。よくわからないことが多すぎる。せめて、政治家、自民党の政治家には地に足をつけていてほしい。次の内閣、できうる限り誠実に、そして短すぎることもなく、長すぎることもないように。え、とりあえずは安倍の任期まで? まあいい、どうにかしてくれ。だれか賢い人がうまいことやってくれて、鼓腹撃壌となればそれでいい。……という態度が長すぎて腐敗してしまうなにかを生んでしまうのかもしれないが。

 

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安倍首相の悲願ともいえる改憲。おれはこのように考える。安倍とは相容れぬことは明白だが、かといってすべての政治家とも相容れぬもののように思えてならない。