ゆとり教育が悪いのか?

goldhead2004-12-16

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20041215k0000m040152000c.html

ゆとりを重視し、学習内容を削減した現行の学習指導要領に原因を求める専門家は少なくない。中山成彬文科相も初めて従来路線の「見直し」に言及した。

 国際的な調査で、日本の子どもたちの学力低下が見られたとのことです。そして、その原因を週休二日制ゆとり教育に求める動きがあるようです。たしかに、学力は国にとって大切なものでしょう。しかし、本当に大切なのは、未来を持った子どもたちの将来です。まず第一に、子どもたちのことを考えることが必要なのではないですか?いたずらに詰め込めばいいという姿勢に、私は心を痛めています。
 ゆとりをやめろという人は、自分はもう学校に行かないからといって、平気で子どもたちに負担をかぶせようとする。はたして、休みを削って、狭い教室で授業の時間をちょっと増やしたからといって、本当に大切な知識や学力が身に付くのでしょうか。それは違うんじゃないですか、と私は大臣にも言いたい。本当に大切なものはどこで学べるのか? そんなの言うまでもありません、塾や予備校に決まってるじゃないですか。
 だいたい、私などは小学校の授業など一度も面白いと思ったことはないし、知的好奇心を刺激された覚えもありません。それ以前に、小学校で勉強したなぁ、という覚えがありません。私はおそらく、ゆとりなんて言われる前の世代の人間です。それでも、先生がたは詰め込みのスキルすら無かった。今、授業時間を増やしたところで、一体なんの効果があるのでしょう。ぬるま湯に漬かって競争もなく、スキルも磨かない公立学校の教師が一体何をできるのでしょう。無能者が単に生徒を長く拘束するだけです。確かに拘束に馴化させることは近代以降の学校の持つ役割の一つですが、ついでにそこで勉強させるのが効率というものでしょう。
 <近藤唯之節>「塾や予備校の講師には人間が育てられない」という人もいるだろう。しかし、私は一人の塾講師の話をしたいのである。私の通っていた中学受験予備校には、前後に監視カメラが取り付けられていた。ある日、一人の講師がこういったのである。「あのカメラは君らの学習態度を見ているんじゃない。俺がちゃんと教えているかどうか監視しているんだ。それで給料が決まるし、クビにもなるんだなぁ」と。私はそれを聞いて腰を抜かすほど驚いた。壇上から生徒達に勉強を教え、「先生、先生」と呼ばれる人も、大人の社会では明日の運命を気にする一人のサラリーマンでしかないのか、と。私はその講師の見せた寂しそうな顔に、男の人生の運命を見る思いであった。今どき、それだけの覚悟で以て生徒を教える公立小学校の教師なんていますか?まさに彼こそ、教師の中の教師じゃありませんか。そして、その彼もほどなくして姿を見かけなくなった。男の人生なんて一学期先もわからないものなのか。
 ともかく、民間の塾講師などは、明日どうなるかわからない中で己の技術を磨くプロフェッショナルなのです。たとえば、ある事項を三十分で理解させる教師と、二時間かけて何とか理解させる教師がいたとします。その場合、一時間半分の「ゆとり」を生み出せるのは前者に他ならないのです。前者を公立の教育の中心に据えて、後者を放逐する。それこそが国の取るべき姿ではありませんか。時間さえ増やせばいいものではないのです。
 <近藤節>ついでに言えば、前者は今困ってる。大手の大学受験予備校には名物講師と呼ばれるプロがいる。その中の一人が、満室の教室でこんな話をしたのである。「出生率のグラフを見ながら同僚と話したんですが、この商売に未来はなさそうです。将来、ラーメン屋をはじめようって相談してるんですよ」と。私はそれを聞いて、総毛立つ思いであった。「講座はすぐに締め切りになり、大教室をいっぱいにする講師が、将来の不安に脅えているのか」と。今こそ、公立に彼らのスキルを投入すべきでないのか。
 しかし、こんな風に一席ぶっている私が何者かと問われれば、身分的には無職の最下級賃金労働者に過ぎないのである。いい教育がいい人間を育てるということではないのか。