残酷な事件を前にして僕が考えなければいけないこと

 奈良県の女子小学生殺人事件について書こうと思う。僕はあまり事件のことは取り上げない。そういった事件を前にして僕が思うことは、僕がわざわざ日記に残さなくても、僕がちゃんと覚えていること、常に考えていることだからだ。けれど、昨日の報道ステーションを見て、これはちょっとメモしておこうと思った。
 番組によると、小林薫容疑者と交際していた女性がいるという。十九歳の学生だ。出会いは出会い系サイト。デートは三回くらいで、場所はホテルと小林薫容疑者の自宅だったと思う。これはつまり、テレビに出る上では交際となっていたが、交際の前に援助の付く援助交際、売春に他ならないだろう。
 僕がこのニュースを聞いてどう思ったか。「新聞販売店の従業員ってのはけっこう給料がいいのか?」ということである。よく報道されていたところによると、行きつけのスナックなどもあったというから、外で常習的に酒を飲む金があるということだ。その上さらに十九歳の女を三回買うだけの金があったということだ。携帯電話でポルノ画像を集めていたともいうが、パケ代を気にせずに携帯電話を使えていたということだ。小林に使い込みをされた以前の勤め先の店主は、金の振り込みがストップするのを恐れて居場所を警察に告げなかったという話もあるが、小林に毎月三万円振り込むだけの金があったということだ。部屋にはご禁制のビデオが見つかったというが、それを買うだけの金があったということだ。あからさまに俺より良い暮らしをしてるじゃないか!
 というわけで、僕がニュースについて何か語るのは不毛なのだ。大谷昭宏もびっくりの、歪みきった視点である。小林薫の場合はたまたま加害者だったが、僕を支配するこの視点にかかると、法的な加害者/被害者の区分など意味をなさなくなる。例えば、昨日と今朝のニュースで報じられたゴルフ場におけるキャッシュカードのスキミング被害。このニュースにコメントしようとすると「ゴルフをするような余裕のある奴は」という文言が必ず入ってきて、僕という社会のゴミクズによる一方的な嫉みと僻みによる誹謗中傷文となってしまう。これはわざわざ日記に書くまでもなく、僕の中にありつづける。ニュース以外のあらゆる話にも入り込んでくる。だから、僕はあまりニュースについて書かないのだ。