家に帰りたくない私は考えすぎるので家に帰りたくない

 不動産屋経由で話が行ったということは、宣戦布告も同じである。もとよりあれほどの音を出すからには、私を殺すつもりなのだろうし、逆に私に殺されてもかまわないという覚悟の上でやっていたに違いない。騒音をもって人に嫌がらせをするというのは、それほどの悪意によって成立するもののはずである。今度はその悪意が騒音より明確な形をもって顕現化する可能性が大いにある。直接の暴力ならばまだいい。間接的な嫌がらせが一番の問題である。それに対して直接的な暴力をもって応じるのもやぶさかではない。しかし、巻き込まれる形での正当防衛的な暴力ならばまだしも、能動的な暴力を振るう場合に何らかの制動する精神の働きが予見されるからである。すなわち理性的・社会的対応により社会システムによって彼の者を排除できるのではないかという誘惑である。言い換えれば、私が暴力を振るうことにより私が被るデメリットの排除だ。しかし、その社会システムに対して私が有効に訴えかけることができるのか、あるいは社会システムが私の訴えに対して有効に働くかという不安要素が残る。また、その手続きによってもたらされる更なるトラブルが考えられる。いや、それ自体が忌むべきトラブルである。これらの問題により私は煩悶するのだ。果たして私は私を上手く制御できるのか?脈打つ心臓、加速する血液。私の小心は私に私が心身相互の存在であることを証明している。宇宙が開闢して以来、全ての小心者が犯してきた全ての過ちに祝福あれ!