ゲーム脳社会に警鐘する

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http://www.asahi.com/national/update/0214/014.html

 様々な種類のゲーム機器があり、仲のいい友人たちがゲームをしによく集まった。少年は格闘技ものが好きで「きのうは夜通しゲームをしていた」と話すことがあった。一方で学校を休むことも多かったという。

 大阪の寝屋川市で十七才の少年が小学校の先生を後ろから包丁で殺し、又女性職員を二人傷つけるという痛ましい事件があった。なんでも先生というものへの逆恨み的動機であると報じられている様であるが、私の幼少のころに於いても、先生と生徒の反発はあるものである。しかし、私の思い出を述べさせて頂くならば、詰まらない原因でSという級友と諍いになった時に、間に入ってくれたKという先生がSの味方の様に思へて、私はK先生に突っかかったことがある。K先生は急にスリッパを脱ぎ、腕まくりをして、「さあこい」と仰った。角力をしようというのである。私も力自慢だったから勢い勇んで勝負となり、今思へば先生が手加減してくれたのでしょうが、何番も角力を取るうちに、心のわだかまりも無くなっていったもので、その後もSと仲直りもなりK先生を恩師と慕い、亡くなる迄親交は続いたものである。それが昨今では後ろから包丁とは、そこに何も芽ばへないのは当たり前なのです。
 今朝、テレビのワイドショウを見ておりますと、この事件について医学博士である森昭雄先生が、日本テレビテレビ朝日の番組で紹介されていたのを見ました。博士の学説によりますと、私には学が無いもので正しく理解できたかは自信が無いのですが、テレビゲームをしていると眼からの情報が前頭前野という脳の部分を通らずに、そのまま手が動くようになるという。前頭前野という部分は人間の理性や倫理を司る部分であるから、人を殺しても平気の平左という人間になってしまうという。そういう人間の脳を「ゲーム脳」と言うのですね。
 これは恐ろしい話ではないでしょうか。今の若者は皆ゲームをしているし、電車の中でも手帳みたいな大きさのゲームに没頭する、子供どころか大の大人みたいなのが、シルバーシートに座ってへいちゃらなのだ。私とて一喝したいところではあるのですが、最近の若者の凶悪さは周知のごとく、なかなかそうは行かないというのがお恥ずかしい限り。
 この犯人少年は将来の夢がそういった恐ろしいゲームを作る仕事、あるいはそれに関わる雑誌(ゲームの雑誌まであるのですね)の記者だったとも報じられていた。聞くところによると、そういった仕事の方々も、一日中モニターの前に座り、延々とボタンを押して仕事をしているという。医学博士のような見識の無い私の考えなのですが、斯様な仕事をする人も又「ゲーム脳」なのではないか。而してそんな人が携わるゲームを子供から大人まで遊んで、更にゲーム脳が生産される。こんな循環があるのではないでしょうか。
 いや、最近は何でもコンピューターの時代です。多くの労働者が同様の脳の状態にあるのではありませんか?また、何もコンピューターに関わらずとも、ベルトコンベアーに流れてくる部品を加工するだとか工場の作業(この間NHKスペシャルで工場労働する若者を見てチャップリン翁の活動写真を思い出しました)だとか、前頭前野が滋養されない労働をする人ばかりの世の中である。  
 医学博士である養老孟司先生の著書『唯脳論』に書かれていた事かと記憶しますが、人間の社会はすべからく脳の反映という。畢竟、斯様な凶悪犯罪が起きる背景には、ゲームのみならず、コンピューターやオートメーションの社会があるのではないですか。そして、人間は皆倫理観と理性を失い、人殺しを厭わぬ人間になる。しかし、私はここで更なる警告をしたいのである。理性無く人殺しをする人間、それは将に理想的な兵士であると。
 ゲームやコンピューターを規制するどころか、訳の分からぬ横文字を並べてそれを増長させようとする政治家達の狙いは、倫理観なく人殺しを厭わぬ兵隊を生み出すところにあるのです。真面目で優秀な教員が見舞われた悲劇の背景には、紛れもなく軍靴の足音が聞こえている。老骨である私はそれを声を大にして言いたい。最後に、この想いを愚作ながら短歌に託してみたいと思う。

ゲーム脳栄えて国の滅びゆく
いずれや咲かん紅梅の花