グランツーリスモ4/ラリーという名のアートについて

 私のモータースポーツに関する知識は、実に断片的であやふやなものだ。そうでない知識を有する分野は何かと問われると、にわかには答えられないのもたしかだが。そんなわけで、私のミーハーで表層的なモータースポーツとの関わり。そのはじまりが何かと言えばF-1である。そう、あの「ジャンプ」の四文字がマクラーレンのノーズに載ったその時から。それから数年は、F-1を欠かさず見たし、たまに雑誌を買ったりもした。さまざまなチームやエンジン、ドライバー、そしてそれらの変遷。そういったものが実に楽しかった。ところが、いつしかその興味も薄れてきた。それは、F-1を見始めたころの名前が居なくなってきたころと重なるだろう。今もかなり薄くなってしまい、そろそろ知識のないジャンルの一つになりつつある。
 前置きが長くなったが、ラリーの話だ。何を言いたいかと言えば、その程度のF-1である自分でも「F-1よりラリーの方がスゲェって感じがする」という話だ。自分のF-1に関する知識が上に挙げた程度のものならば、ラリーはそれよりもない。ほとんど無いと言っていい。WRCというのだろうか、あれのダイジェスト番組を一シーズンだけ通して見た、という程度だ。それも数年前で、自分が覚えているドライバーの名前といえば、マキネンカンクネンサインツマクレー?(四つともキーワードに合ったので大正解だ。しかし、はてなのキーワードはこういう点がありがたくもあり、ありがたくもない。もしも引っ掛かって無かったら、調べて書き直そうかどうしようか考えてしまう。それどころか、こうして余計な追記をせざるをえない)そんな感じだったか?まあいいや、それでも、それを見ながらそんな風に思ったのだ。
 どちらが「スゲェ」かなんて、もちろん、そんなもの比較にならない。比較のしようがないのはわかっている。もちろん、知名度や市場規模など客観的に比べようはあろうが、そういう話ではない。問題は「感じ」の話だ。私はラリーがあの細い市街地や断崖絶壁の淵を走る様を見て、心底スゲェと思ったのだ。あるいは、いきなり出てきた羊だか山羊だかと衝突したり、大勢のギャラリーギリギリをドリフトしていく様を。もちろん、高速でサーキットを走るのもスゲェ。そのくらいF-1をミーハーなりに見てきたらわかるし、その危険性だって知っている。しかし、それでもあの市街地や断崖絶壁の淵のインパクトには及ばないのだ。ここらあたり、自分がサーキットを走ったことがないけれど、細い路地ならば運転したことがある、というあたりに起因しているのかもしれない。
 さらに前置きが長くなったが、グランツーリスモ4のラリーコース、特に市街地コースは面白い、という話である。ただ、一つ難点を挙げるならば、助手席の人(ナビゲーター?コ・パイロット?コ・ドライバー?)が居ないことだ。いや、別にコースを読み上げろとは言わない。次が右なのか左なのか、矢印の一つも出してくれ、ということだ。何速に下げろ、みたいな支持は出るんだから、そのくらいのサービスをしてくれないか。私のようにもうろくしてくると、なかなかコースも覚えられないし、寝ぼけて逆方向の壁に突進なんてこともしばしばだ。いや、居眠り運転は私の責任に他ならないのだけれど。