『フィンランド上空の戦闘機』を読む

フィンランド上空の戦闘機

フィンランド上空の戦闘機

 説明するまでもないが、すばらしい『ストライクウィッチーズ』を見るまで、第二次世界大戦フィンランド上空の戦闘機がいかなるものかまったく知らなかったし、興味を持とうとも思わなかっただろう。だいたいフィンランド第二次世界大戦でどこと戦争をしていたのかもよくわかっていなかった。さらに最近ではフィンランド大使館の恥ずかしくないもんっぷりから、その興味も増していたのである。
 そこでとりあえず、図書館でたまたまみつけたこの本を手にとってみたいというわけである。「イッル」も普通に出てくるわけである。まあともかく、フィンランドの偉大なエースパイロットの一人の、かなり詳細で小半径の追想録といっていいだろう。しかし、そんな中でも、わからないことがあれば検索したりしつつ、いくらかフィンランドの戦争について学べたといっていい。
 しかし、フィンランド人だ。フィンランド人といえば、若干F1なぞ見ていた身としては、現代のエース・パイロットを輩出していることは知っていた。ラリーでも、だ(あまりおもしろくない空想だろうが、モータースポーツの優秀な操縦者たちは、生まれた時と場所が違えばスーパーエースと呼ばれるような戦闘機乗りになったかもしれない)。なぜフィンランド? かと。
 して、この本を読むにその謎が……解けるわけでもないが、なんとなくそうなのかもしれないな、などというよくわからない印象は残る。もちろん、著者のルーッカネン氏とそのまわりばかりが描かれているだけであって、それでフィンランド人全般について語れるわけでもなかろうが、なんとなくだ。著者が休暇かなにかで泥と氷の道を延々と何百キロも車で移動した話など読むに、「やはりラリーか」と思う程度のことだが。
 しかし、なにかこう、旧式機や他国での評判がさんざんな機体を、練度と高い士気で乗りこなして強大な国から小さな祖国を護るというのは、なかなかに「燃える」話ではあるように思える。まあ、ソ連軍が「強国ドイツと戦っていてそれどころではない」、「国内の粛清し過ぎで軍隊としての指揮系統から練度、士気までダウン気味」みたいなところもあるわけだが、それにしたって、という。
wikipedia:フォッカーD21
wikipedia:F2A (航空機)
 とくに下の、ほかではさんざんの評価のブリュースター F2A バッファロー(ブルーステル)を「空の真珠」とまで讃え、大事にするあたりは泣けるじゃないか(ウィキペディアの信ぴょう性はわからんが。あと、おれ、なんというのだろうか、軍オタではありえないが、それなりにミリタリーについては好きで、ガンダムでいえばグワジン問答というものは知っていても、その中身についての見識はないていどというか、例えていてよくわからないというか、シャアはシャーじゃないくらいの感じで、あまりなにか型にはめるような言い方は好ましくないというか好きじゃないと思いつつ「普通の男の子並に」くらいで、ひとつお許しを)。でも、ドイツから提供された「メルス」(メッサーシュミット109G)で初飛行したさいの著者の感想は以下のとおりである。

 主脚を収納、フラップを上げる、プロペラピッチを調整し、ラジエーターフラップを閉じる。エンジン出力を絞りつつ、私は新しい乗機の虜になりつつあった。メルスの操舵反応は非常に繊細で、機体はロケットのように上昇していった。わたしはメルスの並外れた強力さと、速度に完全に魅惑されてしまった。古い「空の真珠」なぞ、比べ物にならない。

 まあなんだろう、こう言っちゃなんだが、素人が見た目だけ比べても「ブルーステル」と「メルス」では大違いなのだし、なんというかメッサーシュミットって名前だけでもしびれるというか、かっこよすぎて反則だと昔から思っていましたが。いや、零戦の機能美が……と言われても、飛燕の方がとんがっててかっこいい、みたいな昔からの好みなんだけれども。
 えーと、それで、練度に加えて一線級の戦闘機まで得たフィンランド空軍はエースパイロットを続々と輩出し、また祖国を守りぬいたことで戦後もわりとナイスなポジションを得たようだったのでよかったのでした。おしまい。
 ……でいいのか。まあいいか。でも、なんだろうね、著者の身の回りの描写が多いので、「フィンランド人はやっぱりサウナか」とか「マイナス30度になるとさすがに寒がる」とか、いろいろなんか知ることはできた。
 まああと、なんだろうね、当時のね、この極東の肥大した帝国の軍隊とどこがどう一緒で、どこがどう違うのかとか、そんなんは……なんか言えるほど知識ねーけどね。
 そんでね、おれは戦争モノを読むとき(あんまり数を読んでないけど)にね、ティム・オブライエンベトナムもので言ってたと思うんだけど、体験者がいくら戦場での英雄的行為や自己犠牲や悲劇やなんやいい話とかしても、そんなん信じちゃいけねえんだって、なんというのか、一応はそういうあたりの意識は持つようにはしているんだけど(ただ、この本についていえば、全体的に淡々としていてそこに喜びも悲しみのリアルもあるというか、まあリアルに違いないんだけど、というか、うまくいえねーが)、まあしかしなにかこう、とくに飛行機乗りなんかが、空に一種のロマンやら境地を感じているであろうあたりには、なにかこう、やはりそういうものとして見てしまうところはある。

……新鮮で澄んだ空気、爽やかな朝だった。戦闘機乗りたちは機体の前でしばらく雑談したあと、ちょうど午前3時、4つの強力なエンジンの低く思い響きが、鳥たちを仰天させた。すぐに水たまりから飛沫を上げ、加速しつつ滑走路を進んだ。浮揚すると、主脚を収納し、太陽に向かって着実に上昇をつづけた。真っ青な空を背景に、赤みがかった金色の太陽はすでにピンク色にけぶった地平線に、美しい金色を添えていた。
 巻雲の切れ端が漂い、戦闘機自体も早朝の空の一部と化し、ハウキヴェシの湖が反射する陽光が、ブルーステルの翼や胴体を煌めかせ、パースペクス樹脂の風防にちりばめられた朝露の粒を様々な色の宝石のように輝かせた。どんなに優れた画家であっても、このすべてを画布に写し取るのは不可能であっただろう。

 午前3時、というあたりが夏のフィンランドらしいあたりかもしらんが、それはともかく、パースペクス樹脂というあたりがいい。パースペクス樹脂がなんなのかしらんが(「匂いガラス」か?)。
 こんなん読んでて思い出したのは、先日読んだ『私兵特攻』のワンシーン。宇垣纏が最後の特攻をしかけた翌日だか翌々日だか、さらに特攻に出た数機(偵察という名目だが突っ込む気もあったかとかいうのだっけ。手元にないからわからん)の話があって、その生き残りの人を著者が訪ねる。その人は元からお寺の人で、戦後も僧侶になっていたんだけど、地球が丸く見えるような真っ青な空の上というのは、なにかもうこの世のものではなくて、同じく飛び立った仲間が突っ込んで死んでいったとしたら、それはもう迷いのないものだったろう、みたいなことを言うわけだ。
 それを額面通りに受け取れるかどうか、というにはいろいろの要素はあるんだけど、なにかこう、そういう光景というか、世界というか、パースペクティブというか、それを体験した人間の言うことにはなにかあんのかな、と。それはあるいは、ロアルド・ダールが描き、宮崎駿が映像化したあの空につながっているのかな、と。
 まあ、話がそれた。いつかは「イッル」の本や、“白い死神”の本も読んでみよう。おしまい。

ストライクウィッチーズ2 エイラ・イルマタル・ユーティライネン (1/8スケール PVC製塗装済完成品)

関連☆彡

 まあしかし、この本を読んだことが、「なにか戦記モノでも読みたいな」とか思ったきっかけのひとつというのもひどい話ではある。

 とうぜん「いらん子中隊」も持っていて読んでいるわけだが、読みなおすかね?