特攻隊やったの日本だけじゃなかったのね〜『ヒトラーの特攻隊』を読む〜

 「国家の有する軍隊が組織として自殺攻撃を実行したのは旧日本軍だけ。ヒトラーですら拒否した。だから日本は……」、未来を生きてんな(違うか)、みてえな、そんな話があって、おれもそれはなんとなくずっとそう思ってきた。具体的に調べたとかじゃなくて、なんとなくどっかでそんなん読んだか、聞いたかって感じでさ。戦場で、個々の判断で体当たり攻撃したとかいうのなら、これもどこで読んだか忘れたけど、被弾した米軍機が日本の軍艦相手に機首を回頭させて艦橋狙って突っ込んできたみたいな話もあったはずだ。でも、そんなんじゃなくて、組織だって、みたいな話は旧日本軍だけだ。カミカゼだけなんだ、と。
 したら、『ヒトラーの特攻隊 歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち』なんてタイトルの背表紙が図書館で目に入ったんで、ちょっとめくって借りてみたってわけだ。新聞で連載していたのをまとめたものらしい。内容はといえば、自殺攻撃隊の生き残り二人と、立案者である元ルフトバッフェの大佐のインタビューから構成されていて(インタビューはインタビューで最後にまとめられている)、どうだろうね、このね、それでね、おれの読む限り、通称「エルベ特別攻撃隊」ってのはまあ特攻隊じゃねえかと、まあ思った。
 あと、これとはべつにソ連のオーデル川渡河を遅らせるために、橋に500kg爆弾のっけたBf109で橋に突っ込めという作戦が出てきて、こっちは問答無用に生還不可能を前提としてんだな。でも、生き残ったパイロットは橋に向かううちにバカバカしくなって、爆弾を投下してそのまま家のある町に向かって帰ろうとして、すぐに燃料切れになって脱出したという話。
 で、通称「エルベ特別攻撃隊」ってのがなにかっていうと、エルベ川周辺の基地から米英の、つーか、昼間だから米のかな、まあいいや、ともかく飛んでくる重爆撃機に体当りしろという、そういう作戦のために集められた部隊なんよ。ただ、集める段階で具体的に知らされていなくて、説明を受けた段階でぶっ倒れて参加免除なったやつとかもいる。多くは飛行時間もほとんどない新人みたいな連中。あくまでも、参加は「自由意志」ってね。まあその自由意志ぐあいもねって具合で。そんで、具体的になにするのかといえば、メッサーシュミットBf-109で重爆相手に高高度から体当りしろ、と。それで、特攻用の機体ときたら、機銃も照準器も座席後部の装甲板も無線の送信機もすべて取っ払って、それで爆装を……してるわけでもない。プロペラで尾翼あたりを切り刻め、と。まあ、ここで、その、パラシュート脱出する機会があるからカミカゼとは違う! という言い分もありえると思うが、そんなに違わないだろうという気がするんだが、さあどうだろうか。しかし、生まれの時点で優秀すぎるがゆえに最後はこういう使われ方をするあたり、Bf109と零戦は似ているって著者も書いてるけど、そんなところあるよな。
 そんで、もちろん直掩機もつくんだけど、これがMe262で、乗るのはベテランパイロットなわけ。ひょっとしたら、名の知られてるエース級がいたかもしれないし、それはわかんない。それで、そのベテランたちが作戦内容を知らされるのも、この作戦自体が極秘裏にすすめられてきたから直前なんだよ。それで、ヒヨっ子にしか見えない、若い体当たり攻撃の主役見てどう思ったろうね。「忸怩たる思い」ってやつかな。それはもうたぶん、岩本徹三や菅野直が感じていたのと同じものに違いないと想像するけれども。
 で、本書でインタビューを受けた「エルベ特別攻撃隊」のヨアヒム・ヴォルフガング・ベーム氏は、出撃時に上昇中におそらくはエンジンの故障で脱出、大怪我をして終戦を迎える。燃料がもったいないからという理由で、事前にテスト飛行どころか、飛行場内を走行させてすらもらえなかったという状態だったらしい。それでも、幾人かは米軍機に突っ込んだ。プロペラの切り刻んだ跡の写真も載っていた。
 それで、こんな作戦の立案者が、本書の取材時に存命していたうえに、現役の弁護士として活躍していたのだからすごい。95歳だ。しかし、活躍といってもネオナチやホロコースト否定論者を弁護する弁護士であって、ネオナチというか、オールド・ナチの生き残りというか。その名はハヨ・ヘルマン元空軍大佐。コンドル軍団に爆撃機パイロットとして参戦したから古株だ。アテネ郊外のピレウス港で命令無視ながら大戦果を挙げ(機雷を撒いて英軍に使えなくさせろという命令のところ、無視して爆弾落としてみたら、すげえ爆薬を積んでる輸送艦に命中、大誘爆)たり、後には夜間空襲に対する作戦(灯火管制じゃなくて街をむっちゃ明るくして、爆撃機の上の戦闘機に攻撃させる。これ、最近どっかで読んだな。ガーランドの本か、空襲の本か、どの本かもうわからん。ただ、『空爆の歴史』は本書の参考文献にあるから、そっちかな)で「柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章」までもらってるやつだ。
 で、こいつが日本の敷島隊の話を知り、駐独大使の大島浩(「大島大使は本当に酒の好きな人だった」だってよ)に話を聞いたりして、まあ大島は神風の効果に懐疑的みてえな感じだったらしいけど、ハヨさんは空軍内で日本の特攻隊賛美の話をしてるやつとか見て、やるべきだって考えてね。
 で、ゲーリング元帥にヒトラーと掛け合うわけだが、両者とも及び腰というか、「ゲルマン的ではない」みたいなこと言ったり、前向きじゃない。だが、結局は、無駄に終わった反攻(ドイツ都市の防空につかうはずだったのに! ってガーランドがクッソ激怒してたやつ)あとには、ゴーサインのようなものを出す。
 本書ではこんなふうに描写されている。

 ゲーリングの説明を聞き終えたヒトラーはこう述べた。
「この体当たり攻撃に望む兵士たちのことを、私は実に偉大だと尊敬する。だが、自分としては、この作戦に対して命令を下すつもりはない」
 一瞬、作戦に反対するつもりかと思わせた。だが、ヒトラーは続けた。
「これは命令に基づくものではなく、あくまで自由意思だからだ。くれぐれも、本人の意思に基づいて隊員を選ぶようにしてほしい」

 とさ。で、結局、隊員にゲーリングも、来ると言ってたゲッベルスも、隊員に向き合うことなく、作戦は実行される。著者は、スターリングラードでパウルスに玉砕を命じたり、ユダヤ人虐殺を命じたりするのに、この作戦に戸惑うヒトラーについて疑問を呈する。というか、まあ矛盾を感じるわな。でも、なんか一線があると、そう思いたいところがあったんだろ。
 それは、たとえばドイツのエルベ特別攻撃隊について調べていた史家なんかもそうで、「日本のカミカゼと一緒にしてくれるな」みたいな声も受けたという。ひとつには黄色いサルの狂信者と一緒にするなみてえなところもあるし、どっか線を引きたいところがあるんだろう。

カミカゼの一線

 で、おれはここでふと思うんだが、どっからがその、なんというのだろうか、世界共通語になった(らしい)「カミカゼ」なんだろうか、とか。あるいは、ちょっとちがうが、バンザイアタックでもいいが、日本だけが特別に違ったのか? そこのところで、本書に描かれている「エルベ特別攻撃隊」は同じようなもんだし、オーデル川作戦なんてかんぜんに一緒だ。あと、ソ連が対独戦で「タラーン」と呼ばれる空対空体当たり攻撃やってて、これもそうじゃないか。
 ……いや、おれが思う浮かべるのはもうちょっと違うシーンで、映画『プライベート・ライアン』の上陸作戦のとき、パカっと上陸艇のドア開いた瞬間に戦闘のやつから重機関銃で撃たれてぶっ殺されるわけじゃん。もう、そりゃ死ぬじゃん。でも、死体を盾にしてか、敵の弾切れを期待してかしらんけど、ともかく「行け! 行け!」ってなって歩兵は突っ込まされるわけじゃん。あと、たぶん同じ映画だけど、なんか敵陣地があって、爆薬仕掛けて突破しなきゃってときに、隊長が行けって言って行って撃たれて死んで、次に行けって言ってまた死んでとか、そんなん死ぬのに、やらされるわけじゃん。労農赤軍も後ろから督戦隊に撃たれるわけじゃん。
 そりゃまあ、成功したら完全に死ぬ以外ない作戦のための訓練をずっとやらされて、みたいなのとは違うかもしれないし、そこで線引けるかもしれねえけど、なんつーのか、もう、その、なんつうのか、特別に特攻を美化するでも、否定するでもなく、戦争になっちゃった時点で、もうアウトなんだろうっていう、大雑把すぎるかもしんねーけど、なんかそこんところがひっかかる。いやさ、特攻隊の話も読んだし、つい最近だって島尾敏雄の読んだりしたから、その絶対に死ぬものになることの、すげえ特別さみたいなのはあるんだって、そこんところの、その当事者の内心というか、なんつーのか、まあそういうものは、それは当事者にしかわかりえないもので、でも、当事者だから全員一緒ってわけでもなくて……みてえな。
 つーか、戦争とかいう状態になったら、もうそういうもんで、命令に合理的も理不尽もないというか、それ以前に理不尽に陥ってるし、もうしょうもないもんなんだっていう、そういう前提っつーか。ヴォネガットに言わせりゃこういう。

 わたし個人は、焼夷弾攻撃の思い出をぜひともなまなましい形で保ちたい、とは思いません。もちろん、人々が今後何年ものあいだこの本を読んでくださればうれしいのですが、それは、ドレスデンの悲劇から学ぶべき重要な教訓があるからではありません。わたし自身、そのさなかにいて学んだのはただひとつ、人間というものは戦争ですごく興奮すると、偉大な都市を焼き尽くしたり、その住民を殺したりまでするんだなあ、ということです。
 それはべつに新しい発見ではありませんでした。

ドイツと日本の戦後

 で、ドレスデンが出てきたついでにといっちゃなんだけど、本書でも触れられているが、ドイツと日本の戦後処理というか、そういう話。『空爆の歴史』で知ったけど、ドイツが自らの被害について語るのはわりと最近までタブーだったし、本書では進撃してくるロシア兵によるものすごい量のレイプがずっと語られてはならないものとされてきたとか、そういうものはある。一方で、ハヨ・ヘルマンはナチス賛美が徹底的に弾圧される現状について、ドイツには思想信条の自由がない、民主主義もないと憤る。そして、シュレーダーがノルマンディーの記念式典に参加しながらドイツ兵士の墓所を訪れなかったことに対して、日本の首相は靖国を参拝するから立派だとおっしゃる(あれ、どっか北欧の大量殺人者も同じようなこと言ってたな)。そんでもって、全部ナチスのせいにして片付けていいのか? ナチスは選挙で選ばれたじゃないか? あと、汚いのはナチだけで、軍はきれいだったって言う「神話」はいいのか? みたいな話もいろいろあったりする(本書では、「ナチス式敬礼を軍でやることになったのは、トム・クルーズがヒトラー暗殺に失敗したあとだった、みたいな体験談があったが。ただ、部署によって違ったというか、ゴロプのとこだったらどうだったろうか、とかは思うが)。
 ここんところは、もうほんとうによう勉強してないというか知らんのであれだが、そんなんで、ひとえにドイツよし(つーか、西と東あったじゃんね)、日本悪しなのかとか、変な話だがわりとこの、なんというか、向こうがどう思ってるかしらんが、変な似たもの同士のところもある両国のこのあたりは、まあそれこそ山のような資料や論考もあるんだろうし、そこんところに興味が行けばなにか読むかもしれない。とりあえず今日はおしまい。

関連☆彡

……本人は、自分は信奉者じゃなくて、ヒトラーが死んだと聞いても「帝国の闘いは続く!」と思ってなんとも思わなかったとか言ってるけど、実際どうだかはしらん。

……タラーンって、なんか日本語の語感だと、と、あまり関係ないことを。