僕はあせってしまった

 あせった責任の一端は僕にあるかもしれないけれど、おおよそ僕には無いように思えた。責任を追って行くと、大企業の弊害といったところに行き着くかもしれないけれど、そんなに遠いところまでつたっていっても仕方がない。ともかくどうにかなった。いや、なったかどうかの結論はまだ先なのだけれど。
 大規模な組織には利点もあれば弊害もある。小さな組織にだって利点もあれば弊害もある。簡単に言ってしまえば、大なり小なり人間の組織にはいいところもあるし、悪いところもある。ひとりひとりの能力や善意に瑕疵がなくとも、組織であるという時点で弊害ももれなく付いてきてしまう。ひとりひとりがよく生きたいと思っても、社会はそれ自体に弊害がある。けれど、人はひとりひとりで生きることはできない。均したり伸ばしたり埋め合わせたり積み重ねたりして、社会とどうにか折り合いをつけなければならない。
 折り合いをつけるために歴史はいっそう複雑になり、地球はいっそう重くなってしまった。その分だけ人ひとりひとりの悲鳴も積みかさなってしまったけれど、その分だけよろこびの歌も積みかさねられてきたのかもしれない。僕たちはいっそう賢くなって、ますますよろこびを増やさなければならない。僕たちはよろこびを増やして、ますます賢くなければならない。あまりの疲れになぜ武者小路実篤風になってしまったのか、ますます分からない。