『官能小説用語表現辞典』永田守弘・編

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 これは官能小説の、いや、文章表現のいやらしいところを集めた花肉の扉であり、尽きぬことのない濃厚な絞り汁があふれ出す秘肉の壺である。かように素敵な熟れたイチジクが古本屋の奥の院で五百円だったことに、私のたくましい生き物も熱い熔岩を思わず漏らしそうになるところであった。
 しかしまあ、なんという本だろう。見出しを見ているだけでも飽きることはない。実に多様な比喩と威力のあるストレート。言葉は可能性であるとあらためて認識してしまう。これはもう、国語の副読本にすべきだ。あるいは性教育の現場で「おちんちん」に対応する女性器の呼び名に困ると言うが、これを繙けば答えはそこにあるはずだ(「オメさん」ではどうか)。
 それにしても、実に色々なものを比喩にしている。性と食とは近しいところがあるように思えるが、食べ物関係がまず多い。それは「柘榴の沼」であり「半割りにしたマンゴー」、「未成熟の桃の実」。「赤貝の剥き身」であり「焼きすぎたローストビーフ」に「焦げたすきやきの脂肉」(なぜかすき焼き関係が多い)。男だって負けてはいない「キャンディ」「きりたんぽ」「獲れたての鮮魚」……むむ、弱そうか。やはり男のは食べ物に喩えてはいけない。「高射砲」「回転ドリル」「極太の槍」「男の威厳」「エッチな棒」。こうこなくては。
 しかしまあ、表現のインフレというのも少年漫画だけの話じゃなく、この世界にもあるようだ。それがまとめられているのが「迫力表現」の項目。ここでは「超新星もかくや」という世界が繰り広げられているのだ。そうか、セックスとは「砂漠を放浪した旅人が」水にむしゃぶりつくようなもの、「ダムが決壊」するようなものだったのだ。思わず「涙の分までザーメンに変えて」いや、ザーメンの分まで涙に変わってしまいそうなほど感銘を受けた次第(最後の感動的な奴の著者は睦月影郎、またの名をならやたかし、ケンペー君の作者。引用文の末に著者と著作名がきちんと書かれているのも面白い。巻末の引用文献一覧も壮観)。
 この日記はこそこそと職場で書いていて、じっくりと読み込んで引用する語句を選べないのが残念だが、いくら読んでも飽きない。俺は官能小説はエロ媒体としてかなり上の位置に置いているけれど、それについてじっくり考えたことや、書き手のことについて考えたこともなかった。これからは、この本を入口に色々と手を出していきたいと思う次第。
 しかし、これ読んだ後だとあらゆる言葉が何かの比喩に見える。「競馬が人生の比喩なのではなく、人生は競馬の比喩にすぎない」のならば、「言葉は性器の比喩にしかすぎない」のかもしれない。