『ビッグ・フィッシュ』監督:ティム・バートン/主演:ユアン・マクレガー

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 劇場版の宣伝などを見ておりますと「ジョン・アーヴィングの作品の様だ」と思いましたがそれとは関係なく、いやそういったアメリカ的文化の一つの現れとしては何らかの同一性も見られるようにも思われ、この側面からのアプローチする方法もあり得るように思われるのですが、私にはそういった知識や見識に欠きますので控えさせて頂きます。そう、私はどの様な作品を見ても「ああ、面白い」とか「うへぇ、つまらない」などと言うしかなく、「○○は××の寓意である」だの「△△は■■を取り巻く社会構造へのアンチテーゼだ」などの難しい話は一切思いつかないのであり、ただ話があれば話に聞き入るのみといったイージーな視聴者と言えるのです。
 そんな私がこの作品を見て思ったのは「なかなか面白かった」というところであり、特に「最後の話」に関してはこの頃とみに緩くなった涙腺が絞り出される有様でありました。しかしながら多少気になった点もありまして、父の人生の現実側面についてであります。現実側面がつまらないというのは当たり前でありますが、その子どもが自分が蔑ろにされたと思うような「家庭」、「余所で為していた事柄」そして「ホラ話」との落差に中途半端さがあり何ともどっちつかずと感じてしまうのでした。それは「余所で為していた事柄」が多少唐突に見えてしまったところにあるのです。
 しかしそれもまた白い紙に落ちた一点のシミの様なものでして、総体のデキの良さ、即ち画面や音楽のきめ細かな完成度は言うまでもなく見事なものでした。また、フリーキーな役者達の演技も見物でして、あの大男カールは日本のテレビ番組に出演しているのを見た覚えがありました。またこの映画を貸してくださった方が「あの顔の変な人も出ている」と言い私が即座に「スティーブ・ブシェミか」と言ったやり取りなどもあり、それもファーゴそのままのやり取りのように思えたのですが、彼のちょっとした大立ち回り等もありブシェミファンとしても嬉しく思ったものです。
 英語ではfishstoryを釣り師の手柄話から「ホラ話」という使われ方をするそうですが、日本語でも「話に尾ひれを付ける」という表現があるように、魚にはどこか得体の知れぬところがあるようです。この作品では「話」を決して釣られぬ事のない魚に喩えたのですが、成る程我々は世に伝えられたり飛び交ったりする有象無象の河にささやかな釣り糸を垂らす釣り人であり、時折つまらぬ話を釣り上げもすれば、決して釣り上げられることのない話に思いを巡らしあれやこれやと話しているのかもしれません。