雷電為右衛門はゴールドスモーの夢を見るか

金髪関取誕生、角界にまげ論争勃発
http://www.nikkansports.com/ns/sports/sumo/p-sp-tp1-050728-0003.html

角界のルールブックにあたる日本相撲協会寄附行為にも髪の色についての規定はなく、学校の校則のように「金髪はダメ」という規則はない。ただ、相撲は神話伝承の時代より続く日本の国技。協会も頭を抱える。北の湖理事長(元横綱)は「まず油をつけて、見た目がどれぐらいになるかだ。それでも色が落ちて見えないようなら、染めることを考えないと」と黒髪に染めさせる可能性も示唆した。

 エストニア出身の把瑠都という相撲取りが関取になり、協会が金髮をどうするか頭を抱えてるという話。思わず、「何言ってんだ、このまんこ頭」と言いたくなってしまった。神話伝承の時代よりの国技とやらに拘るんなら、そもそもアメリカ人もモンゴル人もブルガリア人も朝鮮人も(ここらあたり国名でなくポリネシア人とか人種を連ねるべきなのかもしれない)土俵に上げるなよ。そこら辺を開放しておいて髮の色がどうだこうだって、何言ってるんだ(もちろん、日本人だって生まれつき黒目に黒髪とは限らないぜ。それに、現代じゃ日本国籍を持った金髮碧眼の人だっているが、それは日本人じゃないのか)? それに、髪が駄目なら青い目はどうするんだ? メンゲレ博士でも連れてきて、眼球交換でもするのか?
 俺は何も「開かれたスポーツとしての大相撲」だの「個性と人権を大切にしよう」だの言いたい訳じゃない。ケツを出すのが嫌だからスパッツ履きたいですとか、プロレスラーのマスク被って火を吹きながら土俵入りしたいって意見は認めなくていい。ただ、外国人を土俵に上げておいて、後からその持って生まれた自然なものまで文句言うなよ、と。「身体髪膚受之父母不敢毀傷孝之始也」って知らんのか(日本神話と孝経は関係ないって?)。
 だいたい、そもそもスケールが小さいんだよ、スケールが。神話を繙いて出てくるのは、髮の色の規定なんかじゃなくて、神様と神様が国を賭して戦う雄大なもんじゃないか(参考http://www8.ocn.ne.jp/~porco/rekishi.html)。神事として考えたって、日本ばかりじゃなく、世界の各地からこの国に力人が集って競い合うんだ、それこそ日本大繁栄、大相撲万歳ってもんだろうに。そこらへんをアピールするのは、近代スポーツとしての地位や、興業面を見たって悪い事じゃないと思うぜ。他の格闘技興業だって、日本人チャンピオンがいないからつまらないとは言われず、大いに盛り上がってる(もちろん、日本人選手の奮闘込みで)。
 個人的なことを言わせて貰えば、普段あまり相撲なんて見ない俺も、先場所の千秋楽については進んでチャンネルを合わせた。モンゴルから来た横綱と、若いブルガリア人の挑戦者の戦いだ(直接対決じゃなかったけど)。あの二人が隣り合って座ったときはしびれた。思わずモンゴルとブルガリアについて思いを巡らせたものだ(この両国に接点があるのだろうか?)。だからさ、なんつーか、「外国人=望まれざる者」って発想やめてさ、大きく「力人世界一決定戦」くらいの意気込みでやってくれよと思うわけだ。スパッツは認めなくていいからさ、スパッツは(もちろん相撲取りがまわしの下に履くスパッツは、ですが)。