朝青龍は被害者だったのか?〜人が悪魔に物申す〜

朝青龍はスポーツ選手・力士としては、たぐいまれな身体能力や気力、闘争心を備え優秀だったが「横綱」が単なる最強者ではなく、日本人の心の奥底にある美徳を具現化し、全力士の模範たる存在だとは最後まで理解できなかった。「横綱」を理解できないまま、番付ばかりが上がってしまった朝青龍は、かわいそうな被害者だったとも言える

http://www.sanspo.com/sports/news/100204/spf1002042155023-n1.htm

 すごく長生きで、なおかつ相撲への造詣も深いデーモン小暮閣下の仰ること。朝青龍擁護でもなく朝青龍批判でもなくのコメントである。が、なんかちょっと引っかかる。その、まあ俺なんてのは、相撲ファンとも言えず、こんなのも「傍目から見て」もいいところだけど、まあ「国技」とか「日本人」とか比較的大きなテーマで語られる話題なんで、一応日本に住む人間として言わせてもらうけど。
 で、なんというのか、朝青龍って「日本人の心の奥底にある美徳を具現化し、全力士の模範たる存在」たることを求められていることを理解できないような奴じゃなくなくない? それを知った上で、そんなものにとらわれずにやってきたというような、そんな風に思える。というのも、昨夜、報道ステーションかなんかで流れてた去年のインタビュー見てて、「人に合わせるというのはよくわからない」みたいなことを言っててさ、「人に合わせること」そのものをわかんないやつは、「人に合わせるというのはよくわからない」みたいなこと言えないだろってところがあって。
 というわけで、どうも俺には、「理解したけど拒否した」のが朝青龍じゃねえかって気がする。それで、あくまでモンゴル人、モンゴルの大草原で育った少年として、土俵を戦場にして戦ってたんだ。ときには、一人で相撲界背負ってたじゃん。ワンマンサイドロープ、一人横綱ってそういうもんじゃないの。それってすごいよ。モンゴルから来たんだぜ。朝青龍モンゴル語喋ってるの見たことないから、ついつい忘れがちだけど。
 でもって、どうもこの稀代のバッドボーイ、悪童朝青龍の魅力みたいなのは、そこにあるんじゃないかと思うし、一方で、相撲の強さそのものもそこにあるんじゃないかな、なんて。俺には、なんとなく感じてきたところがあって。たぶん、モンゴル人、外人として、いろいろな仕打ちも受けてきただろうしさ。白鵬だって、なんか思うところあったんじゃないのか、あの本人の引退会見みたいな会見。
 まあ、このあたりは想像に過ぎないのだけれども、気力、闘争心と反美徳、反模範は表裏一体というか、不可分じゃなかったのかな。なんとなく俺はそう思う。というか、そう思いたい。それで、なんかしょうもなさそうな大相撲協会の世界みたいなところに挑んでいって……勝ったんだよ、勝った。大勝ち。横綱だもん。チャンピオン。その後の戦績も立派だ。だから、あんまり被害者じゃねえよ。むしろ、加害者といった方がいいんじゃないのか。害と言っても、それは協会とかそんなのに対するさ。悪弊とか古いものに対するさ。
 で、閣下の文に戻ると、「番付ばかりが上がってしまった」って言ってて。でも、上がってしまうもんじゃなくて、誰かが上げるもんだよな、となって、とすると横綱にゴーサイン出した横綱審議委員会が上げたわけだ。となると、デーモンさんのこのあたりの言い分、横審とかに「身体能力や気力、闘争心」と「美徳、模範」のどっち取るの? と問いかけているようでもある。朝青龍みてえな、超強いけどちょっとやんちゃなのが出てきたとき、どうする? って。
 って、まあ、そんなの超強いのが出てくればいいが、か。だいたい、日本の相撲人口は減ってるとかニュースで言ってたし、出てくるとしたら、モンゴルか北欧か東欧か魔界かわからんけど、日本人じゃない可能性が高いだろうしさ。まあ、もちろん、マネジメントの問題は大切だと思うよ。

そこんところで、中心も中心、天下のチャンピオンを管理できないってのは、あまりにもお粗末だ。増長させてしまった背景云々言う前に、システムとしてどうだって。親方、付き人、ここんところに、相撲以外のところを担当するGMや秘書、代理人。……って、相撲らしさにそぐわないのかな。でも、なあなあ体質でやっていたら、こういう問題は増えると思うぜ。世界から日本に来るのだ、いろいろなストレスや習慣の違いも出てこよう。でも、増えたら増えたで、内舘牧子総裁とかが出てきて、おもしろいアングルでも作ってくれりゃいいけどな(id:goldhead:20061128#p2)!

ダグワドルジは東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 - 関内関外日記(跡地)

 まあ、牧子総裁はどうでもいいんだけど、相撲の規模や世界性に対して、体制ができてんの? みたいな。でも、このあたりをしっかりさせるのは当然(しっかりしてない方が俺のようなやつは喜ぶ可能性が高いが)としても、やっぱりその、根っこのところでさ、格闘技を取るか、儀式を取るか。この二択。もし前者を取るならば、ある程度朝青龍的なものを容認していかねばならないし、後者だったら空気を読んで空気投げをかけられるような演技力のあるやつを育てなくてはならない。
 で、またその、この俺が望むのはなにかというと、もちろん前者であって、世界中の力自慢がすげえたくさん集まって、超最強っぽいのを決めていったらいいと思うんだけれども。ただね、やっぱり、それで単なる格闘技大会になるというのもつまらない、というところもある。伝統や格式、品格とかいうものの、それ自体(なんてものがあるのか知らんが)ではなく、なんというの、そういうギミックがあった方がいい。それでこそ朝青龍みたいなやつは輝く。そう、俺が朝青龍に感じる魅力は、横綱審議委員会とかが磨き上げたといってもいい。だから、白鵬がどちらかというとベビーフェイスなのはよかった。もちろん、白鵬とて、二言目には「強い日本人力士」という言葉が出てくるこの日本で、愛されはすれ、英雄にはなれるのかどうかわからんが。
 そういうわけで、俺は伝統とか格式とかの相撲の建前存続、横綱審議委員会の頑固さは、そのままがいい。それで、朝青龍の抜けたかわりに、白鵬はヒール転向する。一人横綱の重圧とかから、ちょっとおかしくなる。黒白鵬。頼りない大関とかをブン投げては、「歯ごたえねえぞ、オラエー! 朝青龍出てこいやぁぁ!」とか叫ぶの。で、そこに一人の若い力士が出てくる。大学の相撲部で内舘牧子が育てた。いつも横にはつきっきりで指導するコーチがいる。でも、モンゴルマンのマスク被ってるから、正体はわからない。そんなのがいいと思う。