『空海の夢』松岡正剛 つづき1

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id:goldhead:20050811#p2のつづき
5-言語の一族
 この章で話は空海に戻る。空海の血、すなわち出自が述べられる。

 空海アイヌ人だったのか?

 びっくりするような記述。この推理を見つけた若い頃の著者も「大声をたてたくなるような驚愕だった」と。その推理については面倒なので書かないが、こういう古代史考察というか歴史考察はスリルが溢れていて好きだ。ともかく、空海の血統には「古代言語の魔術」に関わっていそうだ、ということ。

古代王権時代において最大のコトを発揮できるのはむろん王自身あるいはその側近である。王のコト(言葉)をミコトと言った。

王の言葉は単に言葉であったのではなく、それを媒介させて使用する者に力を付与させることになったのである。ここにいわゆるコトダマが介在する。

 古代日本における言葉の力。コトの力が最大の服属関係をもたらしたという。

一方、古代言語観念の世界においては、「お前は誰か」と問われて自身の名を言ってしまうことがそのまま服属を意味していたという絶対的事情もあった。

 思わず「西遊記」の金角・銀角のひょうたんを思い出してしまう。が、あれは呼びかけられて返事をしたら、だったか。あるいは、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』か。宮崎駿はここらあたりが好きそうだものな、『もののけ姫』とか。そう、『もののけ姫』では「居丈高な武力」が描かれていたが、それも「コトダマ」を奪った歴史として伝承されるという。

 こうした“言霊さきはふ国”に、ある日めくるめく漢字が躍りこんでくる。

 “言霊さきはふ国”は「しきしまの 大和の国は言霊のさきはふ国ぞまさきくありこそ」(万葉集・柿本人麿)だろうか。 上代日本には文字の普及がなかった。そこに漢字が入ってくる。どう漢字で日本語を表すか。一つは漢字の音をそのまま当てはめる方法で、万葉仮名に。もう一つは意味を当てはめる方法、これは一種の翻訳。

モノやコトという普遍観念が、つい漢字をあてはめたために物質としてのモノと精神としてのモノ、事物としてのコトと言語としてのコトなどに特殊分割されてしまったのは、日本言語史上の大事件であった。

 でもって、こういうことになる。ここらあたり石川九陽の『二重言語国家・日本』(ASIN:4140018593)あたりにも関係あるのだろうか。古本だと安そうなので、いつかあたってみよう。あと、この分割の名残というか、このせいで今でも用字用語が面倒なことになっている。ちょっと何か書こうなら、手元に加納喜光『違いがわかる漢字辞典』(ASIN:4584304033)でも置いておかにゃならん。ただ、一番スマートなのは、迷ったらひらく。これにつきるとおもう。

古代日本語の異様な力とは、概念が概念をよぶところにある。それは漢字が導入されても活力を失わない。タマは玉であって魂であって霊であって偶であり、ウツは空であって全であって移であって写であって映であった。

 分割は分割ながら、これが日本語の面白いところ。そして、それぞれの観念をグルーピング、同類化していく発想力が、空海の言語思想を加速させた、と。

6-遊山慕仙
 空海の思想のバックボーンの一つであり、密教の舞台であるヤマについての章。

アジアの聖山観念はインドの須弥山信仰と中国の聖嶽信仰に代表される。

 この後に述べられるのは、プレート・テクトニクス理論による大陸と大陸の衝突。それによって生まれるヒマラヤ。すなわち「地球変動史上でも想像を絶する最大規模のドラマ」だ。山嶽崇拝をここまで遡ってしまうあたり、この著者の視野の広さには腰を抜かす思いである。ともかく、リソスフェアのサブダクションから東洋思想は誕生し、ついでに日本列島が大陸から減算されたのだ。

 こうしてインドに生まれた須弥山と中国に生まれた五嶽や崑崙・蓬莱のイメージは、やがて朝鮮半島に育った金剛山のイメージなどを巻き込んで日本に入り、各地の神奈備信仰とも習合して独得の聖山観念を形成するにいたった。

 こうして、とは、まあいろいろあったと。「神奈備」はATOKで変換すれば「甘南備」と出て、広辞苑をひけば「神名備・神南備」。かむなび。ついで「神仙タオイズム」と「陰陽タオイズム」の便宜的分類について書かれ、空海というコスモポリタンを見るには、鼻をくっつけてタオイズムの残香をかぐ必要がある、と(見るのに嗅ぐのか!)。しかし、「要素をかっさらった」であって、空海は極北を極めない。山にとどめるものたちは後に山伏と呼ばれる存在。彼らは開山する開発技術者であり、神仙陰陽のタオイズムから雑密、民間呪術などを習合し、鉱物・薬草の知識もある古代化学者であった、と。なにやらワクワクするような伝奇小説でも始まりそうな感じ。

7-密教の独立

 思想は時代を横なぐりする。しかし、空海は時代をタテになぐった。

 意味はよくわからないが、なんだか凄い自信だ。この章では密教の歴史が述べられる。

 私は密教潮流の特質はentrainmentにあると考えている。

 entrainmentとは「沸騰によって生じた飛沫状液滴が蒸気に伴われて出現する現象などに狭くつかわれている」言葉らしい。はっきり言ってよくわからない。

 密教密教正史のようなものをもつべきでなく、むしろ多様な強引によって形成されたとみるべきだということになる。

 「強引」とは「引き込み」という意味らしい。なんかこう、一本道や水路があるわけでなく、バーッと飛び散りながらうつっていく感じだろか。この章ではそんな密教のアレがナニされている。

8-陰と陽
 空海は二十四歳で『三教指帰』を書く。これは「レーゼ・ドラマともいうべき傑作」とあるが、レーゼ・ドラマとは何ぞね。調べたら、「舞台上での公演を目的としない、朗読を目的とした戯曲」とかなんとか。英語ではクローゼット・ドラマ言うらしい。ともかく、遊蕩青年をまず儒教学者が説教し、そこにタオイストが現れて道教儒教に優るのを説き、最後に仏教の最高たることを説く仮名乞児が現れるという話。出家の決断のために仏教最高、の内容ながら、道教への憧れが見られるという。そこで、日本のタオイズム、陰陽道についての説明。

 モノとは「霊(もの)」であって「物(もの)」であり、コトとは「言(こと)」であって「事(こと)」である。上代日本語のモノとコトは観念と言葉と事物および現象を分別しなかった。分別しないことによってトータルな世界観を維持できた。

 こんな中に大陸や半島から天文遁甲や方術(神仙の術・妖術)が入ってくる。仏教より先に。これが陰陽道であり陰陽五行思想などと呼ばれ、先の便宜的分類によれば「陰陽タオイズム」となる。やがて、聖徳太子のころには儒・仏・道の習合が促進され、

表だった体系は仏教により、倫理は儒教により、裏の縫い目は陰陽タオイズムの糸による方法だ。

日本文化はまったくののっけから「大習合時代」としてスタートしていたのであった。

 他の文化のいいところを受け入れるのが日本のいいところ、なんてのはよく言われるが、昔も昔からそうなのだから、筋金入りか。これも大陸大移動のせいなのだ。
 その後も陰陽は衰えず、陰陽師が活躍したりする、と。でもって、朝廷側の陰陽師と在野の陰陽師の対立があったり、陰陽によって権力を得る人も出たと。藤原仲麻呂恵美押勝)に、巨根伝説の道鏡。巨根はここでは関係ないか。まあ、そんな陰陽に空海も影響を受けていたのは間違いない、という話。

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