ギュスターヴ・モロー展

http://www.bunkamura.co.jp/museum/event/moreau/
 困ったことに、感想を書こうとしてもあまり言葉が出てこない。あまりの感動に打ちひしがれたのか。いや、違う。とにかく東京に疲れてしまい、それが時系列を無視して鑑賞の記憶に干渉するものだから、癇性な俺は簡捷に書きとどめるしかなくなってしまう。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/event/moreau/sakuhin.htmlを参考にずらずらメモしよう。何せカタログなんて高くて買えないからな。それに、小さな習作やエスキースが多くて見どころといえばサイトに並んでるものでカバーしきれる。……と、貧弱な記憶の言い訳にしておこう。
 目玉は《出現》だろう。もうバプテスマのヨハネの首がピカーっと光ってる。したたり落ちる血の絵の具は厚く盛り上がって鈍い艶を見せる。その首を指さすサロメヨハネは視線と視線はぶつかり合う。王も演奏者も従者もうすぼんやりとした輪郭の存在で、サロメヨハネも見ない。この絵の妙なところは、細い線で背景の柱やら壁やらに細かな紋様が描き加えられているということだ。この紋様は晩年に作者が描き加えたものという。それが妙な効果を出している。妙は妙であって、これが素晴らしいとは言い切れないところもある。
 一方で紋様の美しさを隅々まで称えたいのが《一角獣》(上記ページ左)。手前に裸体の処女、奥に着衣の処女。なつくような一角獣。しかし、その一角獣の表情が落ち着いて穏やかなものには見えない。モローの描く馬類にはどれもそのような印象を受けるが、入れ込み気味なのだ。《一角獣》(右)など、パドックで見たら消しである。
 入れ込み気味でない馬は、と書こうとしたが、馬ではなく牡牛だったか《エウロペ
あるいは《エウロペの誘拐》 は。これは牛の体牛の首に人間の頭だけくっついた妙なキマイラ。こいつの頭にもヘイローが輝く。左下の花も何かの象徴と思われるが知るところではない。
 《ヘラクレスとレルネのヒュドラ》も《エウロペ》と同じく神話もの。このヒュドラの妙にリアルなサイズはどうだろう。そのサイズが絶妙だ。そして、真ん中のヒュドラヘッドの表情が妙に自信に充ち満ちていて面白い。それがヘラクレスとピタッと視線を合わせる。
 《聖セバスティアヌス》は三島由紀夫が好んでコスプレまでしたモチーフだっけ。モローの聖セバスティアヌスはヘイロー付きで何かを持つ右手をかかげ、恍惚の表情というよりは明後日の方向を向いているという印象。遠くの軍勢は細かく描かれるが、さらに遠景の建物にも《出現》と同じ様な細かな紋様が上描きされて、何やら遠近が妙になる。
 上のページに無いもの。《サッフォーの死》は、まるで明治期の洋画家が油彩で日本神話を描いてみました、というような雰囲気。まったく速度感なき落下。降臨という言葉がふさわしいように思われる。
 《メッサリーナ》は漁師の少年を誘惑する冷たい女王。この筋骨たくましい少年の顔が、漫画的にカーッと赤く光ってるのが印象的。
 《ユピテルとセメレ》のほぼ完成品のようなものは、顔があからさまに違う筆致であって、あからさまに浮いている。また、その対照も妙で面白いのだが……。
 まあ、そんなところであった。俺はモローのディティールがどこまでを目指したものかよくわからない。習作に見られる細かな細かな装飾が、油彩の方ですっとばされて、あとから上描きというケースもあり、またこの展覧会には完成品かそうでないのかわからぬものも多々あり、今回来たのはそういう作品群であったのかとも思い、また、画家の性質なのやもしれず判然としない。しかし、多少ボリュームに欠いたが壁紙などの雰囲気にも気を使っているようで、なかなかに楽しめたとは思う。
 残念なのはお土産物コーナーで、習作の類にぺたんぺたん捺されていた「GM」ハンコがあれば買ったのにな。