『知の編集工学』松岡正剛-その2

●ミメロギア
 著者の考案したエディトリアル・ゲーム「ミメロギア」が紹介されていました。まずディレクターにあたる人が「珈琲と紅茶」「時計とメガネ」など一対の用語がランダム並んでいる紙を配ります。参加者はそれに「午前の珈琲・午後の紅茶」など、それぞれの対比を強調できるようなフレーズを書き込んでいく(検索したらこちらhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0660.htmlの冒頭にあった)というものです。そして、このゲームの特徴は以下の通りとのこと。

……何がデキがよくて何がデキが悪いかはすぐにメンバーのあいだで自然に確立できるということである。
 その場の相互評価が発生してくるのだ。すぐに一座の評価基準が自生してくるのだ。これが大事な点である。
 権威や他者が評価をくだすのではなく、自発してくるところがおもしろい。だから誰が審判役をやっても、あまり文句は出ない。これは連歌俳諧にも通じるっことで、出来・不出来が大事になるのではなくて、その「場」の力にみんながうまく乗っていくことが重要なのである。客観的な評価基準ではなく、その場がほしがっている評価の方向に動くのだ。

 これを読んでただちに思い浮かべたのは匿名コミュニティサイトでした。著者もその後に「ネットサーフィンの要領」なんて書いている(どこのネットの何を指しているのかよくわからない)けれど、言われるまでもなくこれはそういったものそのものじゃないですか。栄光の歴史を誇るアングラ私書箱でもいいし、巨大な2chの片隅でもいい。ただ単に言葉が言葉に乗っかって景気を盛り上げていくその過程、私が匿名コミュニティを愛するのはこのあたりが大きいように思えます。いや、そうですか、これは「ミメーシス」(模倣)と「アナロギア」(類推)のあいのこで、ロジェ・カイヨワの言う「パイディア」(熱狂)と「ルドゥス」(困難)の遊戯なのでした。いやはや、驚きました。