大船駅北口紀行

goldhead2006-02-08

 2005年2月4日 土曜日
 京浜東北線大船駅のホームに滑り込む。私はもちろん、最後尾の車両に乗り込んでいた。ドアが開くと私の耳にはこの世のものとは思えぬ音が流れ込んできた。それは、異国の楽士が奏でる金の豎琴。それは、遠い国から来た隊商が響かせるマーケットのざわめき。制服を着た駅員は、「北口完成万歳! 千秋万歳!」を繰り返し叫び続ける。電車から降りる人々の顔も祭りに向かう期待に満ちる。
 階段を上って、そこに開けていたのは古今東西あらゆる駅に見られることのなかった完全の調和である。駅という構造物の埒外にある美の完成であり、究極の機能性である。それを目の当たりにした人々は、一瞬自らの呼吸を忘れる。まことに大船駅は、駅の中の駅となった。世界の駅の中の駅、東はビザンティン、西はアルビオンに至る世界交通の要衝であり中心である。鯵の押し寿司の売店は古くからの伝統を身にまとい、旅ゆく人々を受け入れる。こここそが世界の心臓である。大船の栄えなくして世界人類の栄光はない。
 おお、そして輝ける連絡通路! 神話のビフレストすら面目を失うであろう世界の橋! 左手には古今東西に比類するもの無きパン職人がパンを練り、人間の生を高らかに謳い、右手にはアレクサンドリアの大図書館もかくやという知識の宝庫、大書店が人類文化の知を謳う。その先には北口の威光によって新たなる生命を得たルミネウィングが……。
 しかし私は踵を返した。返して、行かなければならないのである。北口に行かなければならないのである。いったい、北口のためにどれだけの汗と血が流れたか! 何人の勇者が斃れてきたか! 何人の悲しき寡婦を生み出し、どれだけの量の幼子の涙が地面に染みこんできたか! 北口こそは大船の人々の悲願である。いや、悲願の二文字に押し込むにはあまりにも重すぎる。
 それに、私はモノレール利用者であった。ゆえに、北口の悲惨を語る資格はないのかもしれない。しかし、私も北口方面の旧日能研大船校に通った身である。暗闇に聳える旧ニチイの影に怯えながら暗がりを歩いた身なのである。あのとき、北口があったならば、電車を利用する我が同輩達がどれだけ危険に合わず、すぐに駅という安全地帯に逃げ込めたであろう。あるいは、私とて仲通の暗黒世界を生命の危機を感じつつ通り抜けることもなかったであろう。今でも瞼を閉じれば鮮明に浮かび上がるキャバレーホンコンのネオン。そして、遙か先に輝く「城」の魅惑……。「城」の中についてはいずれ語る日が来るかもしれない。しかし、あの日、あのときの暗黒世界のなま暖かい息吹は、幼い私を毒し、その魂の無垢を穢した。同じ悲劇を、繰り返してはいけない。
 過去の忌まわしい思い出とともに私は北口の階段を下りた。目の前に開けるのは、まさに光。そう、この階段を降りる者は皆ヨナであり、私たちは神の浄化によって鯨の口から吐き出されるのだ。光、光、光。真っ白な光の壁に、うっすらと浮かび上がる「笠間口」の文字。おお、多くの人々がこの壁に手をついて祈る。遙か西方の異教徒のようにこの壁を崇める。そこには、男女の差も年齢の差も肌の色の差もなかった……。
 やがて夕暮れになると、仲通のカルナバルは絶頂に達する。大船観音の半眼からは二筋の光線が照射され、東西一流の詩人たちの手による頌詩をネイビー・ブルーの空に映し出す。やがて四方のあらゆる地平から花火が打ち出され、大船の空はネブカドネザル王の宝石箱をひっくり返したような光輝に包まれ、そして、見よ、金色の淡い光に包まれた観音様が、ゆっくりと浮き上がり、補陀洛山に包まれていた御足の裏からロケット噴射の轟音とともにあたりを包む紫雲のたなびき、見よ、大船観音大船駅を出でて衛星軌道に至った! これより五十六億七千万年後まで大船は観音様とともにある。そして、遙か外宇宙よりの来客も、観音様の後光に導かれ、この大船駅北口を目指すであろう。大船駅北口こそが地球の窓口であり、大船こそが銀河の星々の姉妹となったのである!