潜在的な洗濯の選択

 独り暮らしを初めて以来、洗剤はずっとアタックだった。新聞屋に大量に貰った……両親から大量に貰い続けてきたのである。しかし、毎洗濯ごとにアタックだと、さすがに飽きてくる。飽きてくるが、ロハの魅力にはかえられない。しかし、これが生活の閉塞になっているのは否めなかった。そして、この冬の寒さに、溶けのこりが出てしまうという事態にいたり、ついに、俺は、洗剤を買った。
 俺は、液体ボールドを買った。溶けのこりという大義名分がある以上、液体でなくてはいけない。アタックに飽きた以上、ボールドでなくてはいけない。いや、ボールドでなくてもよかったのだが、安さと「粉と同じだけ使える」の文言に惹かれたのだ。
 新しい洗剤や、新しい柔軟剤を買うと、居ても立ってもいられない。早く使いたくてしかたなくなる。子どもの時分、おもちゃやゲームを買ってもらったときと同じ心もち。早く開けたくて遊びたくてたまらない。
 けれど、洗剤はすぐに開けたりしない。だいたいもう、週末に洗濯するくせがついてしまって、それ以外ではかったるくてやってられない。それでいて、うずうずする気持ちばかりが膨らんでくる。これってなにか一つのマスターベーションかしらん。
 それで、液体ボールドを使ったのだけれど、まあ、液体ボールドを使ったのだ。液体洗剤を使ったら、当然溶けのこりは無かったけれど、洗濯物の香りは柔軟剤の香りだ。ただ、ちょっと違うような気もする。シワの感じもいつもよりいい感じもする。ああ、けれど、どうせなら柔軟剤も同時にかえればよかったのだ。
 この春から独り暮らしをする君ら、独り暮らしはすばらしい。