場末のバーの中で

保険金詐欺には
金庫破りのカタルシスもなければ
スリ師の名人芸もありません
けれど目に見えぬこの犯罪には
人間の血が通っています
人間のお金へのあくなき望みがこめられています
お金で生命をあがなうことはできません
けれど生命でお金を払い戻すことはできます
生命を値付けすることはできます
もしあいつをだますために、お金が使われるなら

 ……谷川俊太郎先生ごめんなさい。というわけで(どういうわけ?)、いつぞやの八木茂の事件(http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/saitamakenhonjousi-hanketu.htm)を思わせる保険金目的の殺人事件が報じられた。飲み屋での会見や、出稼ぎ外国人まで、よくもまあここまで似たものだ。たぶん、世の中のああいう飲み屋では、日夜こういった権謀術数が繰り広げられているのだろう。しかし、この件は決定的に違う部分がある。
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060519-33919.html

民事で認定「男性中毒死は保険金目的」

 そう、刑事事件ではなく、民事での認定である。俺は別に法律を学んだわけでもなんでもないが、気になる話なのだ。最近も二つあった。一つは電車内の痴漢事件で、刑事は嫌疑不十分だったのに、民事では「痴漢行為に及んだと認められる」判決(id:goldhead:20060410#p7)、もう一つは知的障害を持つ女児へのわいせつ行為を巡る刑事裁判で、判決は無罪なのに、行為自体には「疑問を差し挟む余地がないようにも思われる」(id:goldhead:20060216#p1)。今回のケースは前者に近いかと思うけれど、どれも「司法のしゃべりすぎ」じゃね? って、いい加減に同名の本買えよ、俺。
 で、この件について今朝のワイドショーで橋下弁護士がコメントしていたわけだ。正確に書き起こすわけではないが、こんなことを言っていたと思う。曰く‘刑事裁判と民事裁判はまったくの別物で、立証の条件などもかなり違う。保険金を巡る裁判では、たとえば擬装事故などの場合、犯罪行為の認定までは行わず、単に「保険会社は支払わなくてよい」と曖昧にすることが多い。今回のケースで犯罪行為を認定するのはいきすぎかもしれない’。
 うむ、やっぱりそうか、そういう見方はあるのだな。まあ、認定でなく「推認」だったりとか、やっぱり「認」だから一緒かとか、むずかしいところはよくわからないけれど。あと、刑事の方でもやれよ、みたいなはっぱをかける意味があったりするのかもしれんが(それが民事法廷の役目かどうかもわからないが)。
 しかしまあ、林真須美事件もそうだったが、保険金ってのは全国津々浦々の小悪党どもに、いいように利用されてるんじゃないのかね。愛情をこめようにも、こめるだけのお金がない俺にはまったくもって無縁の話なのだけれど。