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山口母子殺害、元少年の無期判決破棄 死刑の公算大
死刑制度賛成の私「光市の事件、まったくひどい事件だ。あの弁護士の出してきた珍妙な劇画を見たか? あんな連中が死刑を引き延ばして、制度を変えようと頑張っていると思うと、死刑に反対する人間は情けなくならないのか?」
死刑制度反対の私「この事件、この犯人に関してはかばうべきところは何もない。現行の法は法であり、それに則るとしたら、刑は粛々と執行されるべきだ。しかし、だからといって死刑制度自体を論じるにあたっては、切り離すべきだと思う。あくまで、人間が生きるためのシステム、道具でしかない法や国家が、人間の生命を奪うというのは主従逆転、本末転倒だ」
死刑制度賛成の私「切り離してどうするのか。遺族感情を無視するわけにはいかない。法の起源であるとか、法におけるなんとか権の発生などは知らないが、“盗みが自由であるより盗み禁止の方がいい”とか、“人殺し自由より規制された方がいい”、“動物虐待自由より、虐待規制のほうがいい”なんていうのは、人間の感情がベースにあり、それが明文化され、ルール、法になってきているのではないか」
死刑制度反対の私「だからといって、遺族感情の尻馬に乗って、まるで我がことのように騒ぐのはいただけない。遺族の感情は遺族だけのものであって、それに踏み込みすぎて、あたかも代弁者の顔をするのは傲慢だ」
死刑制度賛成の私「人間が人間に共感せずに社会が成立するものか。また、その感情が遺族だけのものだとしても、その遺族が極刑を望んでいる。これをどう解決するのか」
死刑制度反対の私「仇討ち的な制度を復活させるわけにはいかないか。あくまで人の生き死には人の手にあるべきで、道具に持たせるべきではない。サド侯爵も同様の理由で死刑に反対していた」
死刑制度賛成の私「サドが現代に生きていれば、さしずめルーシー・ブラックマンさん事件の犯人である織原だか金だかみたいなものだ。まさに監獄の中のやつの言うことを採用してどうする。だいたい、仇討ちとは現実的ではない。実際にそれが行われていた時代も、仇討ちする側の負担といえば相当なものだった。なぜ、被害を受けて、なお、人を殺めてその手を汚すような労を負わなければならないのか」
死刑制度反対の私「仇討ちといっても、捜査や逮捕までは当然警察の仕事だ。その先、死刑か終身刑かは遺族の希望を優先し、執行に関しても志願する人間にやらせればいい。手を汚すというならば、現行の死刑はこの国に生まれる全ての人間の手を汚している。死刑という人殺しは検事や裁判官、刑務官それぞれ個人の手によるものではないのは当然だ。では、何が死刑を執行するかといえば、この国だ。この国は民主主義の国なので、それは国民全体の負うべきものだ。生まれたばかりの無垢の赤ん坊から、死刑に反対する人間までが、その意志に関わらず殺人者になる制度は誤りだ。」
死刑制度賛成の私「遺族、遺族と反対派が言い出すか。では、身寄りの無い人間は殺されっぱなしか。あるいは、親が子を、子が親を殺した場合はどうなる。やはり、そこは国家=国民全体が負うべき責務だ。だいたい、そんな風にして我が手を汚さぬように気を使ったところで、今自分自身が生きている国は、社会は、今までそういったもの込みで存続してきたものだ。多くの誤りも汚れもあった。それを、どこまで遡って手を洗い続ければいい? どこに何を返せばいい? 現状は放棄できないだろう。現状にあぐらをかいて文句だけ言う姿勢には賛成できない。そもそもLIVE=EVIL、咎=各人、人間が生きるとは罪そのものだ。それを飲み込んで生きるしかない。それができないのなら、とっとと首をくくって死ねばいい」
仲裁者の私「こんなことで首をくくられては困る。だいたい、死刑制度云々にうつつを抜かしている暇があるのか。人の生き死により、自分の生について考えろ」
死刑制度反対の私「自分の人生など考えたところでどうにもなるまい。いつ死ぬかわからないのも、死刑囚と一緒だ」
死刑制度賛成の私「ほら、そうじゃないか、人はみんな死刑囚なんだよ。せいぜい執行猶予中にどんな暇つぶしをするかだ。死に方がわかっているだけ、死刑囚の方がましかもしれないしな」
コーラス「いきなり隕石落ちてきて ITEって言って死ぬかもしれない 地震の地割れに挟まれて 救命阿って叫んで死ぬかもしれない ああ人は 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死に死んで生の終わりに冥し」