ジョン・ヘンリーは死ぬまで将棋を指しますか?

http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070322-173215.html

渡辺明竜王(22)が21日、昨年の「第16回世界コンピュータ将棋選手権」を制した「ボナンザ」と平手で公開対局した。

 俺は一昨年こんなことを書いた。
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20051015#p2

いずれ高性能コンピュータに棋士が太刀打ちできなくなるかもしれない。しかし、その前に「人間対機械」のマッチメイクで一発盛り上げよう、なんて考えやもしれぬ。そのために、公の対局は連盟が押さえる。そしていずれ、羽生善治が現代のジョン・ヘンリーとなって頭脳の掘削機械相手に悲愴な勝負を挑むのだ。それはもう、見物ですよ。

 このとき(女流棋士の対コンピュータ公開対局禁止)から米長はビジネスチャンスと捉えていたわけだが、この見物が実現してしまったのだな。羽生ではなく渡辺明だったけれども。というか、いきなりトップ中のトップの一人をぶつけるあたりが、なかなか時の進み具合を物語っているようにも思える。
 このニュースは朝のワイドショーでも取り上げられていた。けっこうな時間だ。わざわざ盤面まで紹介して、敗着の一手まで教えてくれた。人間対機械、コンピュータ。これは人の何かを刺激せずにはおれない話題だと思える。
 オセロやチェスに比べて、将棋の方がある種の複雑さがあるのは確かだろう。だからといって、それはあくまで量の問題であって、質の問題ではないように思える。やがてプログラミングの進歩とハードウェアの増強によって、人間はかなわなくなるのではないか。俺には将棋知識もプログラミング知識もないが、そう思える。
 やがての世界(五年後か十年後か百年後かはわからん)では、コンピュータ将棋と人間将棋は別ジャンルになるのだろう。いくら足の速い人間でも、ボナンザーローマンより速くは走れない。大井競馬場で人間リレー対馬のエキシビジョンはあるかもしれない。そうなるだろう。
 その前に、ハッキリ白黒つけておこう、という棋界の機械に対する姿勢は、あっぱれ、と思う。将棋の強い弱いに人も機械もあるものか(アマとプロはあるらしいが)、という姿勢だ。これはもう、やってやってやり続けるしかない。今日のコンピュータより明日のコンピュータは強い。強くなったと思われるものから逃げてお茶を濁すわけにはいかない。あるいは、先にコンピュータが頭打ちになるかもしれない。掘って、掘って、掘り続けてくれジョンヘンリー。人間の肉と骨は蒸気に勝てないかもしれないが、人間の脳がどこかで一泡吹かせる夢があってもいいだろう。