藤井聡太竜王名人の師匠が杉本昌隆八段でよかった~『師匠はつらいよ』を読む

 

 

船橋方面から杉本昌隆『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』が届けられた。おれはたまに週刊文春を読むこともあるので、このエッセーが面白いということは知っていた。一冊通して読んでみて、なるほどやっぱり面白い、と思った。この本に対談が収録されている先崎学九段が相当な書き手であることは広く知られていると思うが、杉本先生もかなりのものだ。

 

それにしてもなんだろうか、藤井聡太(あ、このエントリー称号つけたりつけなかったり適当です)が出てきて、ブームになり、そして師匠の杉本昌隆先生も注目されるようになった。そんなようすを見ていて、「藤井くんの師匠が杉本先生でよかったなあ」と思ったのである。

 

おれがこれとほとんど同じような思いを抱いたことが過去にある。将棋ではなく、競馬の世界だ。「ディープインパクトの鞍上が武豊で、調教師が池江泰郎でよかったなあ」という思いである。無論、将棋の師匠と弟子、競走馬とそれまわりの人間の関係性は違う。違うが、同じところがある。

 

藤井聡太もディープインパクトも、その世界のみならず、世間一般に名前が知られる存在になった。その世界以外のメディアの目が向けられる。それに対応しなくてはいけない。武豊というのは日本競馬史上最初にして最高の「対外的アピールに適した人」だろう。池江泰郎調教師も物腰穏やかで、悪い印象を抱く人はほとんどいないんじゃないかと思う。え、人格的に問題のある騎手や調教師がいるの? といえば、まあ人には向き不向きというものがある。

 

というわけで、杉本先生ということになる。とても真面目そうだが、ユーモアがある。優しそうな人である。それでいて、藤井聡太少年にきちんと人間としてのあり方、振る舞いを教えてきたのだろうな、という感じがする。藤井聡太少年(あ、少年というのは出てきた当時のことを思い出しているからです)のきちんとした振る舞いにそれが出ている。人間に対する尊敬がある。

 

というわけで、本書となる。もちろん藤井聡太エピソードもたくさんある。困ったときの藤井聡太戴冠エピソードというようなことも書いているくらいだ。それでも、棋士としての生き方やその生活、将棋界やいろいろな棋士の話など、将棋好きにはたまらないものになっている。

 

というわけで、藤井聡太エピソードは控えめに、おもしろいところをいくつかメモしておく。

一年間の順位戦の対戦表を開いたときの話。

 

 ついに修羅の門を開けてしまった……。

 ここからの一年、私は定期的に順位戦の表に引き込まれるはず。だがこの魔力が順位戦の醍醐味。興奮、恍惚感、棋士の「勝負師魂」が呼び起こされるのだ。

 

この本の面白いところに、「師匠」ではなく、一人の「棋士」としての杉本昌隆がたまに顔をのぞかせるところだ。チームスポーツもいいが、一人で自分の名前だけを看板に戦う人たちはかっこいい。

 

「対局前夜症候群」というエッセーでは、「明日の若手は強いな、気が重いなあ」と思うと正直に書く。しかし。

……とことんまで脳を鍛え、対局に向けて自分を追い込む。コツは疲れ果てるまでやること。そうすれば、悩む時間もなくなり、グッスリ眠れるのだ。

 もちろん、これだけで結果が出るほど甘い世界ではないが、少なくとも対局を前に自信を持てる。

「やるだけのことはやった」

「なんとかなるさ」

 棋士になって約三十年経つが、この心境にたどり着くまで毎回葛藤している気がする。

 仕上げは当日の朝。

「よし、やるぞ!」

 これで調整は万全である。

 どんな難しい勝負だって、中に入り込めば楽しい。対局者だけが知る高揚感。

「この日のために自分は生きている」

 そう感じるのだ。

 

すごくいいよな、かっこいいよな。普通に生きていては感じることができない勝負の世界。……ああでも、アマチュアでも将棋や囲碁やっていたり、個人競技のスポーツやったりしている人は、その一端を知っているのかな。おれはぜんぜん知らん。

 

 私の一番最近の昇段、八段になったのは一昨年のことだ。対局後に大阪で取材を受け、気分良く名古屋への帰途に。帰りの新幹線、車内電光掲示板のニュースを見て仰天した。

「藤井聡太七段の師匠、杉本昌隆七段が八段昇格」

 私の名前の上にこの肩書がつくのは予想通りだが、自分の昇段が一般ニュースになったのは初めてで、思わず携帯で写真を撮ったものだ。

そして、その勝負の世界で結果を出す、ということも。

 段位や地位にはまったくこだわらない藤井二冠だが、タイトル保持者の九段として見る景色は当然あるはず。

 自分はそれを見ることができない。だが「師匠」の景色も素晴らしく、それは何物にも代えがたいのだ。

まあ、上には上がいるわけだが、「師匠」としての景色も楽しんでいる。そこがいい。いたって小市民(?)的な視線が多い杉本さんだが、大人物という感じがある。

 

そんな杉本棋士の異名はなにか。「リフォーム」だという。

 

 ちなみに私は一般的に「師匠」がニックネームだが、もちろんこれは自分だけの呼び名ではない。実は将棋の内容で呼ばれる異名があり、それは「リフォーム」である。

 自分の対局の際、中継でこんな描写を見かけることがある。

「この激しい終盤で囲いを補強するとは! いかにも杉本らしいリフォーム術だ」

 持ち駒の金銀を惜しみなく投入して囲いを修復する。負けない気持ちは伝わっても、鋭さや鮮やかさとは無縁。だが生活感溢れるこれが異名というのもなかなか良いではないか。自分では気に入っている。

 最大のネックは、これが炸裂しても、勝利には全然近づかないこと。

「杉本さんのリフォームが出た” うへぇ、今日は終電で帰れないな」

 対局相手以外の関係者からは恐れられているようである。

 

なんと、負けない将棋、終わらない将棋派なのか。しかも長期戦を好む。順位戦も現在持ち時間六時間だが、かつての七時間に戻らないか、というくらいだ。

 

で、こういう長く将棋をする人間として、現在の代表格は永瀬拓矢王座であろう。「棋譜が汚い」などとの理由で嫌う人も多い。嫌う人のほうが多いかもしれない。でも、おれは永瀬拓矢ファンである。そんな棋士がいてもいいじゃないか。千日手上等だ。むしろ、そのくらいキャラが立っている方がいい。

 

そして、その永瀬拓矢こそ藤井聡太のVS(対人研究会)の唯一の相手であり、今現在では藤井聡太以外で唯一のタイトルホルダーである。その王座のタイトルをめぐり、藤井聡太七冠と死闘を繰り広げている。

 

そんな永瀬王座に触れている箇所もある。藤井(聡)対永瀬の棋聖戦で二局連続千日手が出たときのこと。

 

 ところで今回の千日手二回は「負けない将棋」の永瀬王座の真骨頂、勝負に辛い戦術とされる。実際そうだろう。だが、防衛戦(つまり予選シード)が多くなり実戦不足の藤井棋聖にとっても、この千日手二回は大いに収穫があったと思うのだ。

 敵に塩を送る。今の藤井棋聖が一番欲しいものを永瀬王座が与えてくれた……研究会仲間でもある両者を見ていると、そんな気さえするのだ。

 いずれにしても千日手になるともう一局余分に指す。もちろん残業代、いや対局料が増えるわけでもないし、(早く決着をつけたい)という考え方も棋士によってはあるだろう。

 だが、千日手を選ぶ棋士はそんなことを微塵も考えない。棋士は皆将棋が好きだが、千日手が多い棋士は心の底から将棋が大好きなのである。

 

そうだよ、永瀬王座は将棋が心の底から大好きで、将棋しか考えてなくて、人間を辞めて戦ってんだ。しびれるじゃないか。

 

そして、この一冊の最後は藤井と永瀬のやりとりを描写したところで終わる。

 

 今、私は自分の将棋研究室のPC(AMD搭載・藤井竜王寄贈)を使い、このエッセーを書いている。

 隣の部屋からは藤井竜王と永瀬拓矢王座の笑い声が聞こえてくる。そう、コロナの規制緩和で復活した彼らの研究会、その感想戦の真最中なのだ。

 この空間で書くエッセーさえ浄化される気がする。そして私はいつものように話しかけるのだ。

「藤井君、永瀬君、感想戦止めてそろそろ昼ご飯にしない? 弁当が冷めるから」

「藤井さん、先に休憩にしますか?」

「あ、そうですね」

 ちなみにこの二人が自分たちで弁当を買いに行くと人目を引きすぎる。なので、弁当の注文や配達は師匠の私の役目である。

 ううむ、本当につら……いや楽しいぞ。充実した日々に感謝である。