チベット3

北京五輪、選手間にボイコットの動き チベット問題

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080318-00000988-san-spo

 昨日書いたとおり、国単位でボイコットする動きについては、あまり面白く感じない。しかし、正直言って日本の選手が北京五輪の開会式でニコニコ笑いながら旗を振ってるような姿は見たくない。今回の件で無くなった犧牲者とされる死体写真を見たあとだけにそう思う。星野仙一聖火リレー、ちょっと考えろや。
 そんな中、個人の判断で北京五輪ボイコットの動きがある、というのは勇気づけられる。いや、俺が勇気づけられてもしょうがないが、そういう動きがあることには敬意を抱く。もちろん、われわれ日本人がオリンピックを神聖視というか、過大視しすぎるところがあるらしく、そこらへんの温度差もあってのことだろうが、それでもやはりオリンピックはオリンピック、決して町内運動会ではない。

「われわれはまだ発展途上国であり、五輪開催準備にあたりあれやこれやの問題は避けられない」

 そこにきて、チベットに対する発言、そしてこんな発言。都合のいいときだけ発展途上国面をする。先進国と後進国、発展と停滞、資本主義と共産主義、中国という国家が成長とともに今まさに引き裂かれている最中だというのはわかる。少年から大人になるところだ。わかるが、しかし、だからって居直られても困る。居直られたのを頭ごなしにブッ叩いて孤立化、硬直化させるのもまずいが、居直りを認めて民族浄化上等の大国家になられてもまずい。ノーなことにはノーを言わなきゃいけない。
 だからこそ、オリンピックに対するボイコット、これは悪くない手段だ。チベットに向けて各国部隊が進軍するよりずっと平和的だ(もちろん、国連やマスメディアなどが現地調査行かねばならん)。調子に乗って鼻高々になってるところに食らわす、絶妙のカウンターパンチ。叩きのめしてリングを這わせる必要はないが、ちょっとぐらつかせるくらいのことは必要だ。
 なので、日本人アスリートでもこういった事柄に意識的な発言をする人、行動をする人が出てきてほしいと思う。そういう人をリスペクトする。ただ、しない人をディスリスペクトするわけではない。差分として自然とディスってることになるかもしれないが、それについては仕方ない。