肉体の限界/現代スポーツは技術と商業主義から逃れられないのか

goldhead2008-03-26

国際水連(FINA)のマルクレスク事務局長は24日、スピード社の水着を調査する意向を示した。世界新記録が連発した今月の欧州選手権(オランダ)を含め、2月中旬以降に生まれた世界新13のうち12を、同社の最新水着を着た選手が樹立していた。

http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20080326-340269.html

 記事にもあるように、選手たちの練習方法や泳法などさまざまな側面から見なければならん。ひとえに水着のせいばかりと決めつけるのは選手に失礼である。しかしながら、いつの間にか男性競泳選手たちがワンピース型を多く着用しているように、1/100秒世界では水着の性能が勝負や記録を左右するというのは確かなこととも思える。そうなると、さながらF1のように技術と人間のタッグによる戦いという様相を示すことにもなり、それでは従来の競泳のようなスポーツとは異なるものになりかねない。
 競泳というものが、いかに速く泳げるか、というものであるとするならば、水着、帽子、ゴーグルなどは、同一性能品を用いるのが筋ではないか。もちろん1/100秒を争うだけに、小学校の指定用品のようにはいくまい。より気分良く、肉体に余計な負荷がかからぬよう、個人個人に合わせたものであるべきだ。しかし、レギュレーションを定め、おおもとは同一でなければならない。あるいは、水着メーカーなどがスポンサーとして水泳競技を支えている側面もあるのかもしれず、また彼らが新製品を出していかなければならないという要請が存在するのかもしれないが。しかし、そのために技術競争の面が心身性能を争うスペースに持ち込まれるのは本末転倒ではないか。また、スポーツ興行の意味においても、F1のマシンの技術競争ならば見ていて面白いこともあるが、競泳用水着の技術などは、あまりにミクロの世界すぎて見ていてもわからん。ただ、記録更新という興味のニンジンがそれによってもたらされている……という可能性は否定できないが。
 いっそのこと、全裸という方向性はどうであろうか。性能向上のための人工物を埋め込むがごとき、あるいは切除するがごとき人体改造は許されない、という前提において、これが公平である。技術競争が持ち込まれる余地は少ない。いや、果たしてそう言えるだろうか。たとえば、水の抵抗を考えれば男性の陰嚢などは邪魔なもののように思える。あんなものをブラブラ浮かせていては、動きの邪魔になるかもしらん。となると、競技時においてはキュッと小さな胡桃のように固くなっているのが好ましい。ただ、人間男性、意識的に陰嚢の弛緩をコントロールできるだろうか。ヨーガの達人などにはできるかもしらんが、否である。そこで、温度による刺激によってその状態を変化せしめる方法が採られるであろうことは想像に難くない。要するに、スピード社やミズノ、デサント、アシックスなどが、こぞって陰嚢冷却装置を製造することは目に見えているのである。あるいは、これを小型電気製品と見なせば、GE、日立、東芝パナソニックソニー、サンヨー、サムスンなどの参入もありえる。しかし、冷却に電気式が採られるというのも決めつけにすぎない。冷却シート式を採用すれば、小林製薬などが「陰嚢冷まシート」などを製造することが目に見えており、久光製薬白元などが参入することも確実である。現代のスポーツは、科学技術と商業主義から逃れられないのか、暗澹たる思いがする。
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